聖書学
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聖書学(せいしょがく、Bible study)は、聖書を対象に、文献学的方法、また人文科学的な(言語学、考古学、地理学等)諸方法を用いて本文批評をし、キリスト教の立場からすると、原初期の聖書とキリスト教を明らかにしようとする学である。分野は旧約聖書学・新約聖書学に分かれる。また、リベラルと聖書信仰は前提が異なる[1]。
- ^ 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版
- ^ 『聖書の権威』
- ^ ロバート・チャールズ・スプロール Explaining Inerrancy: A Commentary
聖書学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
19世紀には聖書学が進展した。青年ヘーゲル派のダーフィト・シュトラウスは1835年に『イエスの生涯』を発表し、福音書での奇跡を神話として批判的に研究した。後年、ニーチェから批判された。 エルネスト・ルナンは1861年にコレージュ・ド・フランスでの開講初日にイエスを「神と呼んでもいいほどに偉大なる比類なき人間」と呼んで講義が停止され、翌1863年、『イエスの生涯』を刊行した。なお、ルナンはフォイエルバッハの反キリスト教の立場やゲルマン主義には批判的であり、新約と旧約を分離する反ユダヤ主義者ではなく、1882年ハンガリーのティルツラル・エツラルでの儀式殺人事件には抗議し、ロスチャイルド家から資金を調達して反ユダヤ主義の標的にもなった。しかし、ルナンは初期イエスはユダヤ教の枠の中にあったが、ユダヤ共同体での論争の激しさの犠牲となり、イエスはユダヤ教を徹底的な破壊者となり、偏狭なユダヤ性を克服していったと論じて、ユダヤ教を拒絶した。ルナンやダーフィト・シュトラウスによって史的イエスの研究が展開していった。 ダーフィト・シュトラウスから大きな刺激を受けたユダヤ教改革派ラビのアーブラハム・ガイガーは『ユダヤ教とその歴史』(1865-71)で、イエスの教えはオリジナルなものではなく、パリサイ派の倫理の延長にあり、イエス教では天国崇拝が新しいだけであるとして、イエスはガリラヤ出身のパリサイ派ユダヤ人であるとした。ガイガーは、リベラル・プロテスタントの視線でユダヤ教の歴史を描き、パリサイ派を進歩派、サドカイ派を保守派とみた。ガイガーによるパリサイ派のサドカイ派の対立の図式は、モムゼンにも影響を与えた。ガイガーは、当時1870年代の文化闘争などでカトリックに対抗するドイツのプロテスタントやリベラルな国民主義に接近し、ラビのユダヤ教を改革することで、ユダヤ社会の近代化を目指した。 ユリウス・ヴェルハウゼンは『パリサイ派とサドカイ派』(1874)『イスラエル史』(1878)などで、モーセ五書の律法よりも預言者エレミヤの個人的敬虔を重視し、さらに『申命記』などの祭祀法典はバビロン捕囚後に成立したとみた。ヴェルハウゼンは、6世紀頃からユダヤ教は古代イスラエル宗教を圧迫し、祭祀階層が預言者をとどめを刺して、律法が固定されたとして、このことによってパリサイ派は権力を把握した一方で、精神的イスラエルとしてのキリスト教が成長したとみた。ヴェルハウゼンは、ニーチェ、ヴェーバー、フロイトにも大きな影響を与えた。
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聖書学
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シャルマネセル3世が残したモニュメントの2つに『旧約聖書』の君主名が登場しているため、彼の治世は聖書学において重要である。黒色オベリスクはオムリの子イエフに言及している(ただし、イエフがオムリの子というのは誤認であるが。またクルクの石碑(英語版)はカルカルの戦いにおけるアハブ王に言及している。 ラッセル・グミルキン(英語版)は2019年の彼の本の中で、ソロモンとその帝国に関する神話はシャルマネセル3世の記録を元に構築されたと主張している。
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聖書学
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「エルサレム攻囲戦 (紀元前37年)」の記事における「聖書学」の解説
ヘロデによるエルサレム攻囲戦は、ダビデの子によるメシア降臨を予言した最初期のテキストである、旧約聖書偽典のソロモンの知恵17章と関連付けられる。このテキストは、ダビデ王朝をイスラエル永遠の統治者とする神との契約に反して王位を奪ったユダヤ人を罪人と咎めており、それらの罪人たちが外国の統治者によって倒され彼らの血統は絶たれると記している。聖書学者はここに記された罪人をハスモン朝、外国の統治者をポンペイウスと伝統的に同定しているが、ポンペイウスがハスモン朝を断絶させずにむしろ統治者に復帰させたことに着目し、読解の他の可能性として、ソロモンの知恵17章の記述はヘロデによるユダヤ征服とハスモン朝断絶を示唆しているとも考えられている。
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「聖書学」の例文・使い方・用例・文例
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