カルカルの戦い
カルカルの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 04:03 UTC 版)
「エジプト第22王朝」の記事における「カルカルの戦い」の解説
オソルコン2世時代のもう一つ重要な事件はアッシリアのシリア侵攻である。当時アッシリアは著しい拡大期に入っており、その王シャルマネセル3世は北シリアを征服し、南部シリアにも手を伸ばしつつあった。この事態に対し、当時のシリア諸国はダマスカス、イスラエル、ハマテを中心とした連合軍を組織してアッシリアに対応したが、エジプト軍もこの連合軍に参加していたことがアッシリアの記録に残されている。 オソルコン2世がどの程度アッシリアの脅威を認識していたのか定かではないが、彼はアッシリアとの戦いにおいて主導権を握ることはなかった。アッシリアとシリア地方連合軍は紀元前853年、オロンテス河畔のカルカルで激突した(カルカルの戦い)が、この戦いに参加したエジプト軍はわずか1000人であり、万単位の軍勢を派遣しているシリア諸国の軍に比較して明らかに少ない。 ともかくもこの戦いでアッシリアは撃退され、シリア地方を経由してエジプトが攻撃される危険は一時的にせよ回避された。
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