エジプト第22王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 02:07 UTC 版)
エジプト第22王朝(エジプトだい22おうちょう、紀元前945年 - 紀元前715年)は、第3中間期の古代エジプト王朝。リビア人傭兵の子孫シェションク1世によって開かれた。マネトがこの王朝が9人のブバスティスの王からなっていると記録しているため、ブバスティス朝とも呼ばれる。その拠点は前王朝から引き続いて下エジプトのタニスであり、タニスからメンフィスにいたる地域がこの王朝の中心であった。
- ^ シェションク1世とは別人。彼の祖父にあたる。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ ヘラクレオポリスという名は、この都市で祭られていた地方神ヘリシェフをギリシア人がハルサフェスと呼び、名前の類似等からヘラクレスと同一視したことによって付けられたギリシア語名である。
- ^ エジプトが参加していなかったという説も存在する。詳細はカルカルの戦いを参照。
- ^ かつて共同王となった同名のアメン大司祭ハルシエセの子孫を称した。
- ^ 復活の日を迎えるために死体を温存する必要のあったエジプトでは通常火葬は行われなかった。
- ^ オソルコン3世は第23王朝の王。
- 1 エジプト第22王朝とは
- 2 エジプト第22王朝の概要
- 3 歴史
- 4 歴代王
- 5 参考文献
- エジプト第22王朝のページへのリンク