エジプト第21王朝
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エジプト第21王朝(エジプトだい21おうちょう、紀元前1069年 - 紀元前945年)は、第3中間期の古代エジプト王朝。主に下エジプトと上エジプト北部を統治し、南のアメン大司祭国家にも姻戚関係を通じて権威を及ぼした。新王国時代に比較して明らかに建造物の規模などが小さくなっており国力の弱体化を推測させるが、完全に無傷な状態で発見されたプスセンネス1世王墓が残されている。都をタニスに置いたことからタニス朝とも呼ばれる。
- ^ 参考文献『考古学から見た古代オリエント史』の記述による。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ この神はアジア起源のバアル神と同一視された。
- ^ この時代に関する旧約聖書の史実性については古代イスラエルに関する該当記事を参照。
- ^ 旧約聖書ではシシャク、マネトの記録にはセソンキスの名で言及されている。
- ^ 誕生名(ラーの子名)は不明。大オソルコンの名で知られている。
- 1 エジプト第21王朝とは
- 2 エジプト第21王朝の概要
- 3 歴史
- 4 プスセンネス1世王墓
- 5 参考文献
- エジプト第21王朝のページへのリンク