Altair 8800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 00:00 UTC 版)
Altair 8800(アルテア 8800)は、1974年12月にアメリカのMicro Instrumentation and Telemetry Systems (MITS) が開発・販売した個人用のコンピュータである。一般消費者向けに販売された最初期の個人用コンピュータであり、「世界初のパーソナル・コンピューター」とも称される[1]。
- 1 Altair 8800とは
- 2 Altair 8800の概要
Altair 8800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 09:01 UTC 版)
「計算機の歴史 (1960年代以降)」の記事における「Altair 8800」の解説
詳細は「Altair 8800」を参照 シングルチップのマイクロプロセッサの開発は、安価で使いやすく真にパーソナルなコンピュータの普及にとって大きな役割を果たした。1975年1月号のポピュラーエレクトロニクス誌で Altair 8800 が紹介され、新たなコンピュータの市場が生まれた。これに似たような性能の IMSAI 8080 が続いた。AltairもIMSAIもミニコンピュータをスケールダウンしたものであり、単体ではシステムとして不完全である。キーボードやテレタイプ端末を接続する必要があり、本体に比べると相対的に高価だった。またどちらも本体前面パネルにスイッチとライトが並んでいて、二進法で操作者とやりとりすることができる。ブートストラップ・ローダーをスイッチ操作で(二進数で)入力すると、間違いがなければ紙テープリーダーから紙テープに格納されたBASICインタプリタをロードする。前面パネルからのプログラム入力は8個のスイッチで1バイトの値を指定して、ロードボタンを押すことでメモリに入力するということを繰り返す。一般に100バイトぶん以上それを繰り返す必要があった。インタプリタをロードすると、やっとBASICプログラムを実行できるようになる。 Altair 8800 は Intel 8080 マイクロプロセッサを使った世界で初めて商業的成功を収めたマイコンキットであり、世界初の量産されたマイコンキットである。1万台が出荷された。また、これに触発されたポール・アレンとビル・ゲイツがBASICインタプリタ「Altair BASIC」を開発し、後にマイクロソフトを創業することになった。 Altair 8800 はマイクロコンピュータの市場を生み出した。Altair 8800のバス規格「S-100バス」はデファクトスタンダードとなり、多くの小企業がS-100コンピュータを販売した。さらにインテルやザイログが後継マイクロプロセッサ(Z80や8085)を開発することになる。デジタルリサーチを創業したゲイリー・キルドールはそのためのオペレーティングシステム CP/M-80 を開発。CP/M-80は人気となり、多くのハードウェアベンダーが採用し、その上で動作する WordStar や dBase II といった様々なソフトウェア製品も登場した。 1970年代中ごろのホビーストたちは自前のシステムを設計し、時には集まって開発を行った。そんな中でホームブリュー・コンピュータ・クラブが生まれ、ホビーストたちの情報交換の場となった。多くのホビーストは公開された設計に基づいてコンピュータを自作した。例えば、1980年代前半の例として Galaksija がある。
※この「Altair 8800」の解説は、「計算機の歴史 (1960年代以降)」の解説の一部です。
「Altair 8800」を含む「計算機の歴史 (1960年代以降)」の記事については、「計算機の歴史 (1960年代以降)」の概要を参照ください。
Altair 8800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 13:54 UTC 版)
「エド・ロバーツ」の記事における「Altair 8800」の解説
詳細は「Altair 8800」を参照 ロバーツは、低価格のコンピュータでキット市場に復帰することを決めた。顧客のターゲットとして、「多少の組み立てが必要」であることが望ましいと考えた。1974年4月、インテルがマイクロプロセッサIntel 8080を発売した。ロバーツは、自社のコンピュータキットには8080は十分だと感じていたが、8080は小ロットでは1個360ドルで販売されていた。ロバーツは、コンピュータキットの価格を400ドル以下にしなければならないと考えていた。この価格を実現するために、ロバーツはインテル社に8080を1,000個発注し、単価を75ドルまで下げさせた。会社の従業員を20人にまで減らし、銀行からの65,000ドルの融資により、新しいコンピュータの設計と初期生産の資金を確保した。ロバーツは、200台程度売れればいいと考えていたが、銀行には800台売れると言っていた。 『ポピュラーエレクトロニクス』編集長のアート・サルスバーグは、雑誌で紹介するコンピュータの製作プロジェクトを探していた。同誌の技術編集者であるレス・ソロモンは、MITS社がIntel 8080を使用したコンピュータキットを製作していることを知っていた。ロバーツはソロモンに、1975年1月号のプレス締め切りに間に合うように、11月までに製品を完成させると約束した。最初の試作品は10月に完成し、表紙写真の撮影のためにニューヨークのポピュラーエレクトロニクス社に送られたが、輸送中に紛失してしまった。ソロモンはすでにこの機械の写真を何枚ももらっていたので、記事はそれを元にして書いた。ロバーツとイェーツは代替機の製作に取り掛かった。雑誌の表紙に掲載されていたコンピュータは、フロントパネルにスイッチとLEDが取り付けられただけの空箱だった。実際に完成したAltair 8800は、雑誌に掲載されていた試作品とは全く異なる回路基板レイアウトを持っていた。 MITS社の製品は、"Model 1440 Calculator"(1440型電卓)や"Model 1600 Digital Voltmeter"(1600型デジタル電圧計)のような命名をされていた。『ポピュラーエレクトロニクス』の編集者は、このコンピュータにより魅力的な名前があれば良いと考えた。MITS社の技術ライターのデビッド・バネル(英語版)は3つほど名前を思いついたが、ロバーツはコンピュータの設計の仕上げに忙しくて、その中から1つを決めることができなかった。 Altairという名前を誰がつけたのかについては、いくつかの説がある。第1回Altair Computer Convention(1976年3月)では、『ポピュラーエレクトロニクス』誌のレス・ソロモンが、12歳の娘ローレンと話している中で命名したと語った。「彼女は『Altair(アルタイル)はどう? 今夜(の『スタートレック』の放送で)エンタープライズ号が行く所なの』と言いました。」『ポピュラー・サイエンス』1976年12月号では、この話をエド・ロバーツと娘の会話として誤って引用している。ロバーツの一人娘ドーンが生まれたのは1983年のことである。このどちらの話も、多くの書籍、雑誌、ウェブサイトに掲載されている。 『ポピュラーエレクトロニクス』誌の編集者のアレクサンダー・ブラワは別の説を唱えている。編集長は当初"Popular Electronics 8-bit"の頭文字をとって"PE-8"とするつもりだったが、レス・ソロモンはこの名前はつまらないと考え、ソロモン、ブラワ、ジョン・マクベイの3人で「これはstellarな出来事だから、星にちなんだ名前をつけよう」と決めて、マクベイが12番目に明るい恒星であるアルタイルを提案したという。 『ポピュラーエレクトロニクス』1975年1月号が1974年12月中旬に読者に届くと、MITS社には注文が殺到した。電話応対のためだけに人を雇う必要があった。1975年2月、MITS社にはAltair 8800の注文が1,000件も寄せられた。納期は60日とされていたが、実際に出荷されるまでには何ヶ月もかかった。1975年8月までに5,000台以上を出荷した。 Altair 8800の販売価格は、MITS社にとっては損益分岐点だった。利益を上げるためには、追加のメモリボード、I/Oボードなどのオプション品を販売する必要があった。MITS社のニュースレター『Computer Notes』の1975年4月号には、15以上のオプションボードの何ページにも渡る価格表が掲載されていた。オプション品の納期は60日または90日としていたが、ほとんどの製品は生産されることがなく、そのうちにオプション品は価格表から削除された。当初、ロバーツはコンピュータ本体の生産に専念することにしたため、オプション品の納品は1975年10月まで行われなかった。 MITS社の4K DRAMボードには設計と部品の問題がいくつかあった。7月までに、プロセッサ・テクノロジーなどの新興の会社が、信頼性の高い動作が保証された4K SRAMボードを販売するようになった。ロバーツは、『Computer Notes』の1975年10月号で4K DRAMボードの問題を認めた。価格を264ドルから195ドルに値下げし、既存の購入者には50ドルを払い戻した。MITS社は1976年1月に独自の4K SRAMボードをリリースした。 他にも数社がアドインボードの製造を開始し、1975年12月に最初のクローンであるIMSAI 8080が発売された。
※この「Altair 8800」の解説は、「エド・ロバーツ」の解説の一部です。
「Altair 8800」を含む「エド・ロバーツ」の記事については、「エド・ロバーツ」の概要を参照ください。
「Altair 8800」の例文・使い方・用例・文例
- Altair 8800のページへのリンク