『ポピュラーエレクトロニクス』誌
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「ハリー・ガーランド」の記事における「『ポピュラーエレクトロニクス』誌」の解説
スタンフォード大学在学中、ガーランドは電子工学の技術をより多くの人に知ってもらうための尽力も行った。スタンフォード大学で知り合ったロジャー・メレンと共同で、『ポピュラーエレクトロニクス』誌に、ホビイスト向けの電子工作に関する記事を6年間にわたり執筆した。この間、ガーランドとメレンはUnderstanding IC Operational Amplifiers(ICオペアンプの理解)とUnderstanding CMOS Integrated Circuits(CMOS集積回路の理解)という2冊の本も出版した。 『ポピュラーエレクトロニクス』1975年1月号で紹介されたMITS社のAltair 8800は、マイクロコンピュータ業界の幕開けとなった。同じ号に、ガーランドとメレンによる固体イメージセンサに関する記事が掲載されていた。翌月、彼らはスタンフォード大学の同僚テリー・ウォーカーとともに、世界初のデジタルカメラの設計を『ポピュラーエレクトロニクス』誌に発表し、そのカメラ(彼らは"Cyclops"(サイクロプス)と呼んでいた)をAltairに接続するためのインターフェイスの開発に着手した。1976年1月、MITS社はAltairの周辺機器としてCyclopsを発表した。 次に『ポピュラーエレクトロニクス』誌に掲載するために開発したのは、Altairとカラーテレビを接続するインターフェイス"Dazzler(英語版)"(ダズラー)だった。ガーランドとメレンは、ハードウェアの設計をテリー・ウォーカーと、ソフトウェアの設計をホームブリュー・コンピュータ・クラブの仲間であるエド・ホールと協力した。Dazzlerは『ポピュラーエレクトロニクス』1976年2月号の表紙に掲載され、ガーランドとメレンはDazzlerの電子キットを販売の申し出を受けた。 CyclopsとDazzlerの販売をサポートするために、ガーランドとメレンはカリフォルニア州ロスアルトスに200平方フィートのオフィスを借りてパートナーシップを結成し、2人が大学院生時代に住んでいたスタンフォード大学の寮「クロサーズ記念館」(Crothers Memorial)に因んでクロメンコ(Cromemco)と名付けた。
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