2代連続の問責閣僚
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2012年1月13日、野田第1次改造内閣で防衛大臣に任命され、初当選から約29年目にして初入閣。しかし防衛分野との縁は薄く、就任には驚きや懸念の声が上がった。参議院の実力者である輿石東幹事長が強く推薦したとされている。 就任直後の1月15日、NHKの番組に出演した際、国連平和維持活動における武器使用基準の緩和と武器輸出三原則の見直しを混同した。田中は両者の取り違えを認めたものの、入閣前から懸念されていた国防知識の欠如を露呈した形となった。普天間基地移設問題については、2012年中の埋め立て工事着工を示唆する発言をおこない、県外移設を主張している沖縄県側の反発を招いた。田中は、「知事の了解を得られなければ着工できない。私が断定しているわけではない」と述べ、藤村修官房長官も、「(田中氏は)年内に埋め立てに着工するとか、目標にするという発言はしていない」と釈明するなど、火消しに追われた。その後2月2日、国会の場を利用して直紀に釈明をさせようと助け舟を出した若井康彦の質問に対し、「手順表を持っておりまして」と日米政府間の極秘文書を暴露しさらに事態を悪化させた。 安全保障の知識に関する不見識を問われ、1月17日には、メディアに対して「安全保障の基本はしっかり持っている」と反論したが、翌々日の19日に行われたインタビューでは、そのほとんどが官僚の作成したメモを読み上げるだけであり、さらに挨拶の前に「ペーパーを読むだけ」と漏らしている。 1月31日の参院予算委員会では、模範解答を耳打ちする秘書官を同席させて答弁を行い、野党議員からは「腹話術をやめろ!」と批判された。その後、断りもなく審議を抜けだし、議員食堂にいるところを発見された。コーヒーを飲んでいたという。3月14日の参院予算委員会で、またもや事実誤認の答弁と訂正を繰り返し、審議が9回も中断した。「シリアとヨルダン」と答弁し「正しくはヨルダンではなくイスラエル」と訂正。自衛隊の撤収判断をだれが行うかについても迷走。正解は首相だが、「国連」「防衛相」と事実誤認を連発した。2012年3月21日午前の記者会見において、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験に備える手段である航空自衛隊のPAC-3を海上自衛隊の哨戒機P-3Cと発言した。 元陸上自衛官で星槎大学非常勤講師の森清勇は、『日本ビジネスプレス』への寄稿の中で、田中について「防衛省・自衛隊があまりにも分かっていない」「防衛政策の進展など期待できそうもない」と評した。2012年2月8日には、朝鮮中央通信も「日本防衛相・田中の無知がさらけ出され、物笑いの種になっている」と報道した。『徳島新聞』は田中直紀を「野田政権の爆弾」と表現した。2012年4月3日の参議院予算委員会にてPAC3を「住民が少ないから配備しない」などと発言。この日の訂正・謝罪は計5回。元防衛大臣の石破茂は4月8日に出演したフジテレビの番組にて田中の辞任を要求。その後の4月17日午前、自民党は前田武志国土交通大臣及び田中の2閣僚に対する問責決議案を18日に参院に提出する方針を公明党に伝え、公明党も「提出されれば賛成する」と同調の構えを見せた。2012年4月20日午前の参議院本会議において自民・公明など野党の賛成多数により可決された。田中の問責可決により防衛相は2代続けての問責閣僚(2代連続の問責は日本国憲法下で発足した内閣の閣僚としては初であり、また防衛相の問責事例は本件で3例目となり最多)となった。田中は問責決議案が提出されたことに対し自発的辞任の意向はないことを表明し、野田佳彦首相及び藤村修官房長官も職務を全うしてもらいたいと発言していたが、第180回国会会期中の消費税増税関連法案の成立を目指す野田首相の強い意向により2012年6月4日、内閣改造が行われ(野田第2次改造内閣)、防衛大臣を退任した。
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