鳥取城跡とは? わかりやすく解説

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鳥取城跡
附太閤ヶ平

名称: 鳥取城跡
 附太閤ヶ平
ふりがな とっとりじょうあとつけたりたいこうがなる
種別 史跡
種別2:
都道府県 鳥取県
市区町村 鳥取市東町栗谷町百合
管理団体 鳥取市(昭34・424)
指定年月日 1957.12.18(昭和32.12.18)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和62.08.10
解説文: 天文14年山名誠通居城天神山城出城として築城したことに始まるといわれる。のちその部將武田高位叛して、これに據ったが、天正2年山名豊国高信を封ち居城をここに移した織田信長中国経略に当り山名豊国毛利氏絶って信長降り出城したが、家臣等なおこれに據るものあり、毛利氏からは吉川経家入城し、かくて秀吉攻囲を受けること3ヶ月余、遂に経家自刄して開城した。天正9年10月である。秀吉は、宮部善祥坊をここに置き、父子二代わたったが、慶長5年関ヶ原役後、池田長吉は、西單に与した宮部氏の後を承け城主となった元和3年池田氏備中松山移り池田光政代ってここに入った寛永9年岡山移り池田光仲岡山よりここに移封爾後歴代相継いて明治維新至った
城は久松山とその山麓営まれたものである。山は標高264メートル東面背部が低い鞍部によって後山につづくのみで、急峻な独立状をなし、山頂視野極めて広く信長公記に「四方離れて嶮し山城也」とあるのによくかなう。頂部は削平されて三郭より成る狹長な本丸があり、その一端地階有する天守台がある。急峻な坂路西方降れば山麓に諸郭が構えられている。即ち坂路先ず天球丸達する。背後に崖を負い、諸郭中最も高く、その鋪設また厳重である。天球丸に向って左斜前方一段低く二の丸設けられ、更に三の丸天球丸前方二の丸右方低く設けられこの間二三の郭が階段状に附設されている。これらの郭を大きく覆って前面丸の内の広い一郭があり、丸の内はその外側内堀帶び北御門中御門大手門)、南御門三門開いている。また山の背面搦手にも虎口固めがある。これらの遺構は、近世修築経たのであるが、その沿革大観すれば、盖し久松山頂を中心とする中世山城始まり近世入って、その要害即しつつ全体わたって改修施し山麓規模拡大し塁壁石垣を以て堅めたものである。現在鳥取震災による石垣部分的な破損など幾多変改はあるが、全体規模はよく遺り、山陰地方要衝位し戦国の世、名城と■われた面影十分に偲び得られ城郭史上価値ある遺跡である。
久松山背面東方1500メートル隔てて本陣山という241メートル余の高峯がある。久松山搦手相対し久松山指顧のうちに望み得られる山頂部を太閣が平なると称し、削平された平地には、土塁めぐらし、堀を設け跡の如き台地のある郭と馬場称せられる郭などがある。秀吉本陣といわれるが、信長公記記事によく合致し鳥取城攻囲関連あるものとして、また対城の一遺構とも見られ価値ある遺跡である。
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