復元事業
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2005年(平成17年)に「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平保存整備基本計画」が策定された。これは鳥取城を2006年度から30年の歳月と51億2千万円をかけ、幕末期の姿へ復元する計画である。これによれば、まずは2015年までに中之御門大手門登城ルート、追って御三階櫓等を復元する計画である。2011年(平成23年)5月、天球丸の巻石垣の修復が完了した。2014年6月、天球丸の巻石垣の石が抜き取られる事件が発生した。 令和元年11月から令和3年3月にかけて大手門の復元工事が行われた。令和3年3月13日から一般開放される。
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復元事業
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筒井門と西続櫓(左下に戸無門) 巽櫓 乾門と東続櫓 本壇の北隅櫓、十間廊下、南隅櫓 本壇の筋鉄門(左に小天守と重要文化財の筋鉄門東塀) 内庭から見た北隅櫓、玄関多聞、内門 明治維新後においても本丸の城郭建築群はほとんど破却されることはなかったが、昭和に入り放火や戦災により門や櫓などが焼失した。写真や国宝指定作業における正確な図面などが残されていたことから、昭和33年から本格的な木造による復元が行われている。 1958年復元 馬具櫓 1968年復元 筋鉄門 小天守 多聞櫓 南隅櫓 十間廊下 北隅櫓 玄関多聞 玄関 内門 これらは本壇上の南西から西面及び北西の防衛ラインを構成し、大天守(重要文化財)とともに連立式天守を構成する建物群である。小天守は一の門の枡形虎口を見下ろす位置にあるとともに、本丸大手方面や紫竹門を監視する役割があり、2階全部と1階上部が塗籠め白漆喰の外壁仕様となっている。大天守と小天守を繋ぐ筋鉄門は、大天守と玄関多聞を繋ぐ内門とともに内庭防備の櫓門として設けられており、門の柱に鉄板を張ってあるのでこの名がある。多聞櫓形式である十間廊下で結ばれている南隅櫓と北隅櫓は、天守における搦手方面の拠点となっており、2階の窓には格式を高めるため飾りの高欄がある。玄関は内庭の北面にあり、向唐破風屋根で妻入りである。天守本壇の建物群は天守丸の石垣とともに幕末に再建されたことから、各所に親藩としての格式を重んじた居住化傾向が顕れているといわれている。 1971年復元 筒井門 筒井門東続櫓 筒井門西続櫓 櫓門である筒井門は、大手から本丸への通路にある重要な門で、その守りを固めるため、東と西に続櫓が置かれている。しかも、隠門(重要文化財)は筒井門に到達した敵の側面を襲撃するために設けられている。 1973年復元 太鼓櫓 太鼓門西塀 太鼓門南続櫓 太鼓門 太鼓門北続櫓 1979年復元 天神櫓 天神櫓南塀 天神櫓西折曲塀 本壇上の北から西かけての北東面の防衛ラインの拠点にあるのが天神櫓で、艮門の状況を把握する役割も持っていた。久松松平家の遠祖にあたる菅原道真を祀ったためこの名があり、勝山山頂の天守本壇にある学問の神とのことで、合格祈願に訪れる受験生もいる。 社寺建築に用いられる正面扉様式(蔀戸・しとみど)を持つ本壇天神櫓は全国的にもあまり例はない。 1982年復元 乾門 乾門西塀 乾門東続櫓 乾門東続櫓東折曲塀 乾門とその続櫓は本丸搦手防衛の重要な拠点で、乾櫓(重要文化財)とともに強力な防衛ラインを構築している。また、搦手から本丸下の東側通路に侵入しようとする敵のために野原櫓(重要文化財)が築かれている。 1984年復元 艮門 艮門東続櫓 本丸の北東にあり、本壇の東にある艮(うしとら)門は、その続櫓とともに東面の防備の役割を担い、また、大手や搦手方面から侵入した敵の側面を襲うため、兵の出撃口としての役割も持っており、艮門前は虎口を形成している。 1986年復元 巽櫓西塀 巽櫓 太鼓櫓から巽櫓(たつみやぐら)までは、大手面に対する連続した本丸防衛ラインを構築する一連の建物群となっている。本丸の南西に位置する太鼓櫓は大手方面の眺めのよいところに建てられており、戦の合図のための太鼓が置かれたことからこの名がある。太鼓門は脇戸付の櫓門で南と北に続櫓が置かれており、本丸の南東にある巽櫓は、本丸下の東側通路の監視とともに太鼓門に到達した敵の背後を攻撃できる位置に建てられている。なお、巽櫓は月見櫓と呼ばれていたとする説もある。 1992年復元 二之丸多聞櫓 二之丸四足門 太鼓櫓、太鼓門西塀、太鼓門南続櫓 太鼓門と南北の続櫓 艮門と東続櫓 奥から乾櫓、乾門東続櫓櫓・東折曲塀 小天守、多聞櫓、南隅櫓(下は重要文化財の紫竹門・西塀) 内庭から見た筋鉄門と小天守 葵の御紋が付けられた天守の玄関 伊予松山城 小天守閣の三つ葉葵紋
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復元事業
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1991年、北國新聞創刊100周年記念事業の一環として、旧金沢女子大学(現金沢学院大学、石川県金沢市)に保存されていたピアノを復元。約2年かけて1993年に復元が終了した。復元には大場松魚監修による蒔絵や沈金が施され、輪島塗の技術が生かされたものとなっている。
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