近代の建造物の指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 03:08 UTC 版)
概観 明治以降の建造物については、厳島神社の大鳥居(1875年・明治8年建立)が1899年(明治32年)に指定された例、和様折衷建築である石川県・尾山神社の神門(1875年・明治8年建立)が1935年(昭和10年)に指定された例などがあるが、近代の洋風建築が指定の対象とされるのは、戦後の文化財保護法の時代になってからである。近代洋風建築でもっとも早く指定された事例は旧造幣寮鋳造所正面玄関と泉布観(ともに大阪府)で、ともに1956年(昭和31年)に指定された。住宅建築では旧ハッサム住宅(1961年指定)、旧岩崎家住宅(1961年指定)、宗教建築ではニコライ堂(1962年指定)、宝山寺獅子閣(1961年指定)などが早い時期に指定された例である 1974年(昭和49年)に初めて鉄筋コンクリート建造物として重要文化財に指定されたのは旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館・芦屋市、フランク・ロイド・ライト設計、1924年(大正13年)竣工)。大正期の建造物としても初の指定で、築後わずか50年でその価値が認められたことになる。昭和期の建造物として最初に重要文化財に指定されたのは明治生命保険相互会社本社本館(岡田信一郎設計、1934年(昭和9年)竣工)で、1997年(平成9年)に指定されている。また2006年(平成18年)、原爆犠牲者を弔い世界平和を祈念するための教会堂世界平和記念聖堂(村野藤吾設計、1954年(昭和29年)8月竣工)と広島平和記念公園の中心施設広島平和記念資料館(丹下健三設計、1955年(昭和30年)8月開館)が、戦後建築としては初めての重要文化財指定となった。船舶としては唯一、1978年(昭和53年)に明治丸が指定された。 産業・交通・土木遺産 明治時代以降の日本の近代化に寄与してきた産業・交通・土木関連の建造物、具体的には炭鉱、発電所、ダム、水源地、運河、鉄道施設、港湾施設などが、20世紀末頃から文化財の新たなジャンルとして着目されるようになった。文化庁ではこれらを「近代化遺産」と名付け、1993年(平成5年)から「建造物の部」の重要文化財の指定対象となっている。1993年(平成5年)度に指定されたのは秋田市の「藤倉水源地水道施設」と群馬県の「碓氷峠鉄道施設」の2件であった。「藤倉水源地水道施設」についてはダム、貯水池、沈殿池などの施設と土地が、「碓氷峠鉄道施設」については連続する橋梁やトンネルに加え発電所などの付属施設と土地が併せて指定されており、単体の建造物としての橋梁やトンネルではなくシステム全体が保存の対象となっている。「近代化遺産」は、重要文化財建造物の指定件数統計においても他の建造物とは区別してカウントされ、他の建造物が「棟」単位で数えられるのに対し、近代化遺産については、システム全体を重視した「構」(かまえ)という単位呼称が用いられていた。近代化遺産は2003年12月に指定された「舞鶴旧鎮守府水道施設」まで17件(17構)が指定されたが、2005年度からは指定件数統計において「近代化遺産」という分類名称は使用されなくなり、前述の17件は「近代 産業・交通・土木」というジャンルに分類されている。「一構」という単位呼称も用いられなくなり、ダムやトンネルなどについては「一所」、橋梁については「一基」という単位呼称が用いられている。2009年12月08日には海軍の建設による竪坑櫓が指定された。1985年頃から調査研究が始められ、始めは志免町から当時の所有者新エネルギー産業技術総合開発機構へ、負の遺産として「早く解体をして欲しい」と訴えられており、調査も非常に難航をしていた。 尾山神社神門 旧造幣寮鋳造所正面玄関 泉布観 旧開智学校校舎 ニコライ堂 旧岩崎家住宅 旧ハッサム住宅 明治生命館
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