近代の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:18 UTC 版)
朝鮮王朝の末期になると、近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まった。朝鮮の僧侶たちは日本や中国などの僧侶とも交流しながら、仏教の復興に取り組んだ。日韓併合以降は、日本統治の影響により妻帯する僧侶も現れた。この時期の独立運動家には、キリスト教以外に仏教界の指導者も加わっていた。 戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。日本によって制定された寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。また妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開し、1954年には李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。現代では非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり(韓国仏教寺院の8割以上を占める)、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。 また現在韓国では、創価学会、霊友会、立正佼成会、真如苑など、主に日本発祥の仏教系の新宗教の拠点が韓国内に存在する。一説には、日本から朝鮮半島に帰国した在日韓国人の信者達の影響があるともいわれている[誰?]。2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャン(キリスト教徒は全羅道に信者が多く)であり、仏教徒は古都慶州がある慶尚道など新羅王朝の領土だった地域に多い。韓国人の約2割が仏教徒で韓国第二の宗教となっている。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にも妙香山の普賢寺など仏教施設があり、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法には信教の自由の保障が明記されているが、実際に国民に信教の自由が保障されているかは極めて疑わしい。 「朝鮮民主主義人民共和国#宗教」を参照
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