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丹下健三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/29 07:36 UTC 版)

代々木第一体育館 1964

丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年大正2年9月4日 - 2005年平成17年3月22日)は日本一級建築士都市計画家

「世界のタンゲ」と言われ、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。また磯崎新黒川紀章槇文彦谷口吉生などの世界的建築士を育成した。従三位勲一等瑞宝章文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。カトリック教徒(洗礼名:ヨセフ)。




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注釈

  1. ^ 先妻との間に2男1女があり、先妻の病没後に後添えとして入って2男2女をもうけたテイにとっては、第2子にして初めての男子にあたる。
  2. ^ 正確なタイトル名は「MICHELANGERO頌-Le Corbusier論への序説として-」である。
  3. ^ 代々木にある同名の建物とは別物であり、現存しない。正確には、岸田日出刀設計顧問、前川國男建築設計事務所設計監理であるが、実際に設計を担当したのは丹下健三である。丹下健三・藤森照信 2002、67頁。事実、発表に当たって前川と共に丹下の名前も並記されている。Casa BRUTUS 2009、84頁。
  4. ^ 大東亜建設記念営造計画は誤って「造営」と表記される事も多いが、正しくは「営造」である。なお大東亜建設記念営造計画案と広島計画との比較はこちらを参照されたい。→[1] [2]
  5. ^ 丹下健三1997、41頁には「郷里から『チチシス』の電報が届いた」との記述があるが、丹下健三・藤森照信 2002、112頁の丹下のインタビューでの言葉「8月の2日かな、親父が今治で危篤だという知らせを受けまして」に従った。
  6. ^ 日本的かつカトリック的な近代キリスト教会建築という建築設計競技のコンセプトに対する解答者としては、結果的に見て丹下より村野の方が適任であったと言える。また村野本人は設計料を受け取ることを辞退した。
  7. ^ 広島ピースセンター設計にあたり、法隆寺や伊勢神宮や桂離宮を参照したとは丹下自身の言であるが、桂の影響は言わずもがな、伊勢の影響は平和記念資料館本館(コンペ時は原爆災害資料陳列館)のピロティ柱に見て取る事が出来る。資料館の原イメージとして当初意識していた正倉院の高床式校倉造りでは、原爆被災からの復興という「力強さ」に欠けると丹下が直感したからである。ヒューマンスケールと明確に隔絶する都市的スケールで持ち上げられたピロティの空隙を「中心性の空虚」と捉え直せば、左右非対称のマッス(量塊)を両翼に展開させたその構成を、法隆寺における日本独自の伽藍配置からの影響と見て取ることも可能である。現在のピースセンターは、一見オーソドックスなシンメトリーな配置に見えるが、コンペ段階で西ウィングに計画されていたのは、台形状のボリュームを持つ集会場(後の公会堂。現・国際会議場)であり、東ウィングの現・平和記念資料館東館(コンペ時は平和会館。後の平和記念館)と対になるようにそれを模して改装された今となっては、その横幅の違いに法隆寺のアシンメトリーな伽藍配置の影響の名残を見出すことが出来る。しかしながらランドスケープを素直に読み解けば、大鳥居をシンボライズした厳島神社の伽藍配置とコルビュジエのソビエト・パレス案からの影響とするのが妥当であろう。
  8. ^ 検証ヒロシマ、36-37頁には「(委員の中に)『原爆を落とした国の人間がつくった慰霊碑なんて』という人がいたんです。丹下さんはその板挟みになり最後はイサムに『自分の力ではどうにも…』と手をついて兄イサムに謝った」という記述がある。また平松剛2008、263頁には「丹下は広島市長と問題解決のために奔走し、時にはノグチ本人も加わって建設大臣にまで訴えたけれど、決定はどうしても覆らなかった」という記述もある。
  9. ^ この丹下の考えのベースにあったのは1949年(昭和24年)8月6日に公布された広島平和記念都市建設法(法律第219号)である。この法律の目的は「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設すること」であり、広島市を他の戦災都市と同じように単に復興するだけでなく、恒久平和を象徴する平和記念都市として建設しようということであった。丹下は広島市の復興都市計画策定の初期から関わっており、その理念を可視化することが彼に与えられた使命であった。
  10. ^ 幾度にも渡る改修を経てプール施設は半恒久的に体育フロアとして仮構され、汚れの目立ったコンクリート打ち放し面が塗装されたほか、特にインテリアにおいて内部空間を引き締めていた飛び込み台が撤去されるなど、往時の持っていた至高性が著しく失われたと評される向きがあり、建築界からも建設当時の趣きを保存し再現せよとの声がある。例えば、新建築2005-5「至高の空間」槙文彦、24頁。
  11. ^ もちろん丹下ひとりの力ではなく、神谷宏治、構造担当の坪井善勝川口衞、設備担当の井上宇市、尾島俊雄ほか、多くのスタッフの協同の賜物であることは言うまでもない。特に1953年の「広島子供の家」よりコンビを組んで来た構造家坪井善勝の力は大きく、構造設計のスタッフの中には「あれは、我々がデザインした」と言い切る者が何人もいるという。新建築2005-5、23頁。
  12. ^ 同時期の丹下設計による同形のデザインであるシンガポールOUBプラザの(主な作品・外観画像を参照のこと)間延びした感じと比較対照すると、公共建築でありながらコストが掛かり過ぎるとの批判にもかかわらず、記念碑性を欲した丹下が花崗岩打ち込みにこだわったデザイン意図が理解出来よう。
  13. ^ 鈴木自身の回想によれば、丹下とは東京オリンピック以前に既に知り合いであり、電力業界の大物・松永安左エ門1956年(昭和31年)に組織した民間のシンクタンク「産業計画会議」で関わりがあったと言う。そこでの議題のひとつに東京臨海部の開発計画があり、丹下は当時住宅公団総裁だった加納久朗とともに、東京湾に巨大人工島を造る計画を提案しており、これが後に「東京計画1960」に繋がって行くことになる。平松剛2008、275-276頁。
  14. ^ 本来ならば一個人の弔辞であるが、期せず簡にして要を得た優れた「丹下論」になっているので、参照されたい。→[3]

出典

  1. ^ 井上章一2006、289-292頁。
  2. ^ 丹下健三1997、62頁。
  3. ^ 丹下健三・藤森照信2002、139-143頁。
  4. ^ 丹下健三・藤森照信2002、142-143頁。
  5. ^ 井上章一2006、297-298頁。
  6. ^ ヒロシマ・ナガサキ、86頁。
  7. ^ 東琢磨2007、33-36頁。
  8. ^ 濵井信三2006、57-64頁。
  9. ^ ヒロシマの記録、137頁。
  10. ^ 丹下健三1997、64-65頁。
  11. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、184頁。
  12. ^ Casa BRUTUS 2009、84頁。
  13. ^ Casa BRUTUS 2009、146頁。
  14. ^ a b 丹下健三・藤森照信 2002、326頁。
  15. ^ 日経BP 2005、118頁。
  16. ^ 例えば、Casa BRUTUS 2009、146、149頁。詳細はノートページの当該箇所で。
  17. ^ 平松剛2008、170-172頁。
  18. ^ 平松剛2008、283-284頁。
  19. ^ 平松剛2008、351-359頁。
  20. ^ 五十嵐太郎2006、222頁。
  21. ^ 平松剛2008、25-29、452頁。
  22. ^ 建築三粋人1997、75頁。
  23. ^ 宮内嘉久2005、171-172頁。
  24. ^ 平松剛2008、338-345、351-359頁。
  25. ^ a b 五十嵐太郎2006、221-224頁。
  26. ^ 平松剛2008、457頁。
  27. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、448頁。
  28. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、57、62-65頁。
  29. ^ ル・コルビュジエと日本、200-203頁。
  30. ^ 論拠を丹下健三・藤森照信2002の詳解な立論に負う。とくにその「第2章 学生時代」「第3章 修業時代-前川事務所にて-」を参照。
  31. ^ Casa BRUTUS2005-6、45頁。
  32. ^ a b c 新建築2005-5、20頁。
  33. ^ 越後島研一2003、88頁。






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