興亜会とは? わかりやすく解説

興亜会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 03:23 UTC 版)

興亜会(こうあかい、旧字体: 興亞會)は、1880年明治13年)に日本で最初に設立されたアジア主義の総合機関。日本におけるアジア主義(興亜主義)の原点であり、源流である。


  1. ^ (黒木 2005, p. 71)
  2. ^ (黒木 2005, p. 252)
  3. ^ a b (黒木 2005, p. 266)
  4. ^ (姜 2006) [要ページ番号]
  5. ^ (黒木 2005, p. 629)
  6. ^ (黒木 2005, p. 631)
  7. ^ (黒木 2005, p. 623)
  8. ^ 霞山会2001、57頁。
  9. ^ (黒木 2005, p. 633)
  10. ^ (黒木 2005, p. 635)
  11. ^ (黒木 2005, p. 636)
  12. ^ (黒木 2005, p. 645)


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興亜会

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張滋ホウ」の記事における「興亜会」の解説

1878年明治11年秋に副島種臣帰国すると、後を追うように1879年明治12年春来日し、長崎地元文人引き止められ10ヶ月滞在した後、1880年明治13年)春東京出て曽根俊虎宅に寄寓した。 1880年明治13年2月曽根俊虎が興亜会を設立すると、副島種臣やその支那語学校講師興亜本科午前授業において、古文音読字音教えた当初芝区西久保巴町校舎住み込み11月7日麹町区五番町18番地に移った生徒には宮島大八小田切万寿之助大倉喜八郎、恒屋盛服等がいた。 1880年明治13年2月28日東京地学協会入会1895年明治28年10月28日免費会員となった。興亜会には3月同盟員として入会し12月創立員に昇進例会議員会、懇親会等に積極的に参加し唯一の在京民間中国人会員としての精力的な活躍認められ1883年明治16年)から3回議員当選した。壟思録の後任として、1880年明治13年9月1日から11月まで慶應義塾大学支那語科講師兼職した。教科書には慶應義塾出版会などから販売された「興亜会支那語学校編集の『語言自適集』を使ったその後浙江省から郭宗儀講師として来在したが、壟と張が北京官話北京語を含む華北方言)を教えていたのに対し、郭は南音(南方系の発音)のため生徒困惑するなどの事態生じ、張は慶應義塾支那語科退任した1882年明治15年5月4日支那語学校廃校となり、5月16日文部省東京外国語学校漢語講師雇い替えとなった同校東京商業学校第三部として統合、後に語学部と改称され1886年明治19年廃止されたが、この時解雇されたか定かでない1889年明治22年9月帝国大学文科大学博言学科及び漢学科で教え同時に東京高等商業学校嘱託支那語講師務めた帝大では『亜細亜言語集』『西廂記』『桃花扇』等を用いたが、生徒学習意欲低く、滋昉もこれを放任していたという。この頃浮槎(査)散人号しているが、『論語公冶長篇「道行はれず、乗りて海に浮かばん。」から採ったもので、異国の地で自らの不遇を嘆く心境表している。 1891年明治24年3月15日から1894年明治27年8月19日まで、副島種臣榎本武揚等の推薦により、清国公使館内の日本語学校文学堂で漢文教えた1894年明治27年日清戦争勃発し在日清国人次々と帰国する一方日本人の間では中国語学習熱が高まり日本留まり続けた滋昉は引っ張りだことなったが、市井の人から乱暴、投石等を受けるようになり、一旦帰国した1895年明治28年)には帰国し4月から半年存在した東亜学院でも教えている。

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興亜会

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アジア主義」の記事における「興亜会」の解説

1880年海軍軍人中国での情報活動従事していた曽根俊虎などを中心に設立された。琉球処分壬午事変などで日清関係が悪化していくなかで両国平和的な提携論を標榜し最初アジア主義団体とされている。駐日公使何如璋清政府関係者支持も受け、日清提携のための中国語での機関誌発行語学教育力を入れた。のち亜細亜協会改称し東亜同文会設立されるとこれに合流した

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