総武
総武鉄道
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「国鉄400形蒸気機関車」の記事における「総武鉄道」の解説
総武鉄道は以下の通りナスミス・ウィルソン製の13両を1形として導入した。 1893年(2両) - 1, 2号機(製造番号446, 447) 1894年(2両) - 3, 5号機(製造番号448, 457) 1896年(6両) - 6 - 11号機(製造番号472 - 477) 1904年(3両) - 22 - 24号機(製造番号694 - 696) このほか、1898年に房総鉄道から1895年製の3形3号機を譲受して1形4II号機としたほか、尾西鉄道が1898年に3両発注したもの(製造番号528 - 530)のうち1両が竣工前に総武鉄道に譲渡されて1899年に総武鉄道15号機となった。 国有鉄道法に基づく1906年の総武鉄道の買収によりこれら15両が国有化された。一方で、1901年に1両(製造番号615)が発注されたが竣工前に西成鉄道に譲渡されて1II号機となり、さらにその後1903年に北海道鉄道のB2形5号機となった。
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総武鉄道
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「国鉄1200形蒸気機関車」の記事における「総武鉄道」の解説
総武鉄道に導入されたのは、製造番号499, 500の2両である。この2両は関東鉄道が注文したものであったが、結局未成に終わり、その注文流れ品を総武鉄道が引き取ったものである。総武鉄道では、2形(12, 13)となったが、製造番号とは逆順に付番されている。1907年、鉄道国有法により買収され国有鉄道籍となった。 12 ← 製造番号500 13 ← 製造番号499
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総武鉄道
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上述の経験から、競願の不利益さを悟った両社の発起人は合併を協議し、発起人に利根川水運の株主であった県会議長の池田栄亮などの有力者を加え、1889年(明治22年)1月に総武鉄道株式会社を創立した。会社名称は上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国を結ぶことに因む。総武鉄道は翌2月に再願を申請した。この時の出願では、利根運河との競合を避けるとともに陸軍の支持が得られるように国府台・津田沼・佐倉等の軍営所在地を通る以下のルートを採用し、その使命に「軍事輸送と政府開墾地への輸送」を掲げていた。 1889年(明治22年)1月に申請された計画ルート 総武鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 総武鉄道の狙いどおり「陸軍営所を通過し、用兵上にも便利である」とする陸軍省の意見が決め手となり、1889年(明治22年)4月に仮免状が下付され、同年12月に小岩 - 佐倉間の免許状が降りた。ただし、計画の一部変更などにより、工事着手は1893年(明治26年)8月となる。なお、1892年(明治25年)に公布された鉄道敷設法で「東京府下上野ヨリ千葉県下千葉、佐倉ヲ経テ銚子ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ木更津ニ至ル鉄道」が将来建設されるべき鉄道として指定された。このころになるとルートの候補地となった各地域で様々な鉄道誘致運動が行われるようになる。なお、千葉県各所(船橋・千葉・佐倉・芝山・飯岡・茂原・流山等)で鉄道反対運動が行われたとの言説が市町村史や小学校副読本などで取り上げられることがあるが、当時の文献や記録にこれらを裏付けるものはなく、単なる鉄道忌避伝説であるとされる。 1894年(明治27年)7月20日に市川駅 - 佐倉駅間が開業し、千葉県内初の鉄道となる。直後の8月1日に日清両国で宣戦布告がなされ、早速日清戦争での兵員輸送に活用された。同年12月9日には江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達した。総武鉄道は、1897年(明治30年)5月1日に成東まで、同年6月1日には銚子まで延伸され、佐倉駅で成田鉄道との連絡も実現する。 両国橋から都心部への延伸は1899年(明治33年)に本所 - 秋葉原間の免許を得、1904年(明治37年)に両国橋(現在の両国)まで延伸され、ここを都心側のターミナルとした。両国橋駅を利用する旅客はすでに開業していた路面電車(のちの都電)に乗り継いだ。なお、この当時は貨物扱いも両国で行い、ここから隅田川などの舟運を利用して物資が東京市内へと運ばれた。 1907年(明治40年)、鉄道国有法により買収・国有化され、官設鉄道の総武本線となった。
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