北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/29 01:04 UTC 版)
北海道鉄道(ほっかいどうてつどう)
- 1 北海道鉄道とは
- 2 北海道鉄道の概要
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 23:37 UTC 版)
「国鉄3030形蒸気機関車」の記事における「北海道鉄道」の解説
北海道鉱業鉄道(後の2代目北海道鉄道)により、1921年に1両(製造番号54834)が導入され、同社の1となったものである。富士身延鉄道、青梅鉄道、常総鉄道に導入されたものは、側水槽上縁に丸みを付けていたのに対し、本機と小湊鉄道のものは角型であった。1943年(昭和18年)、戦時買収により国有化され、3025形 (3025) と改称された。 国有化後は小樽築港で入換用として使用されたが、1949年(昭和24年)に廃車となった。
※この「北海道鉄道」の解説は、「国鉄3030形蒸気機関車」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「国鉄3030形蒸気機関車」の記事については、「国鉄3030形蒸気機関車」の概要を参照ください。
北海道鉄道(現・千歳線ほか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 07:18 UTC 版)
「買収気動車」の記事における「北海道鉄道(現・千歳線ほか)」の解説
1943年の北海道鉄道買収に伴い、大型の半鋼製ボギー式ガソリンカー8両が承継された。 買収前は札幌市と苫小牧市の間を結ぶ札幌線(買収後の国鉄千歳線)の主力車として国鉄線にも乗り入れ、都市間連絡を担っていた車両群で、全車が当時流行の流線型車であった。石油統制開始後の1940年まで気動車増備を続けられたのは、沿線に海軍千歳海軍航空隊(現・航空自衛隊千歳基地)が立地しており、その関連輸送需要を増備名目にできたからである。 キハ501・502 (1935年 日本車輌製造東京支店製)→鉄道省キハ40351・40352 キハ550-555 (1936年-1940年 日本車輌東京支店製)→鉄道省キハ40360-40365501が1段窓なのに対し、550は二段窓で車体もやや大型化されている。
※この「北海道鉄道(現・千歳線ほか)」の解説は、「買収気動車」の解説の一部です。
「北海道鉄道(現・千歳線ほか)」を含む「買収気動車」の記事については、「買収気動車」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 16:19 UTC 版)
「国鉄ト21600形貨車」の記事における「北海道鉄道」の解説
1923年(大正12年)から1925年(大正14年)にかけて日本車輌製造、雨宮製作所にて37両(ト27 - ト58、フト4 - フト8)が製造された。北海道鉄道が1943年(昭和18年)8月1日に戦時買収により国有化されたことにより、ト47を除く36両がトム1形(トム2262 - トム2297)に編入された。
※この「北海道鉄道」の解説は、「国鉄ト21600形貨車」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「国鉄ト21600形貨車」の記事については、「国鉄ト21600形貨車」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:41 UTC 版)
「国鉄400形蒸気機関車」の記事における「北海道鉄道」の解説
総武鉄道がナスミス・ウィルソンに発注した1901年製の1両(製造番号615)が、西成鉄道を経て1903年に北海道鉄道のB2形5号機となっており、国有鉄道法に基づく1907年の北海道鉄道の買収により国有化されている。
※この「北海道鉄道」の解説は、「国鉄400形蒸気機関車」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「国鉄400形蒸気機関車」の記事については、「国鉄400形蒸気機関車」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:08 UTC 版)
現在の千歳線を開業していた北海道鉄道(2代目)が開業以来営業不振なのをみて、同社の社長の犬上慶五郎が青山憲三代議士経由で小川に国有化要請を要請したことが発端となったもの。国有化は1928年(昭和3年)1月の閣議で一度決まったものの、衆議院の解散で廃案となったが、1929年(昭和4年)2月に2度目の閣議で買収に伴い公債を発行することに関して法律案を帝国議会に提出、それに関して20万円の裏金が流れたとされる疑い。
※この「北海道鉄道」の解説は、「五私鉄疑獄事件」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「五私鉄疑獄事件」の記事については、「五私鉄疑獄事件」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:23 UTC 版)
「国鉄1200形蒸気機関車」の記事における「北海道鉄道」の解説
北海道鉄道へは、1900年製の1両(製造番号587)がA2形(2)として入線している。形式が分かれたのは、1200形に比べてシリンダ直径が1/2インチ(13mm)が小さかったためであるが、実質的に同じものである。この車は、製造当初から自動連結器付きであった。
※この「北海道鉄道」の解説は、「国鉄1200形蒸気機関車」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「国鉄1200形蒸気機関車」の記事については、「国鉄1200形蒸気機関車」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:02 UTC 版)
1902年(明治35年)12月10日:北海道鉄道(初代)の函館駅(初代)- 本郷駅間および然別駅 - 蘭島駅間が開業。同区間に函館(初代)・桔梗・七飯・本郷・然別・仁木・余市・蘭島の各駅を新設。 1903年(明治36年)6月28日:北海道鉄道(初代)の本郷駅 - 宿野辺 - 森駅間、山道駅 - 然別駅間および蘭島駅 - 小樽中央駅(現在の小樽駅)間が延伸開業。同区間に大沼(初代)・宿野辺・森・山道・塩谷・小樽中央の各駅を新設。 11月3日:北海道鉄道(初代)の森駅 - 熱郛駅間が延伸開業。同区間に石倉・野田追・山越内・八雲・黒岩・国縫・長万部・二股・黒松内・熱郛の各駅を新設。 1904年(明治37年)7月1日:北海道鉄道(初代)の函館駅(2代) - 函館駅(初代)間が延伸開業。函館駅(2代)を新設。函館駅(初代)を亀田駅に改称。 7月18日:北海道鉄道(初代)の小沢駅 - 山道駅間が延伸開業。小沢駅を新設。山道駅を廃止。 10月15日:歌棄駅 - 小沢駅間が延伸開業し、北海道鉄道(初代)の函館駅 - 高島駅間が全通。同区間に赤井川・山崎・紋別・蕨岱・磯谷・蘭越・昆布・真狩・比羅夫・倶知安の各駅を新設。宿野辺駅を駒ヶ岳駅に、山越内駅を山越駅に、熱郛駅を歌棄駅に、蘭島駅を忍路駅に、小樽中央駅を高島駅にそれぞれ改称。 1905年(明治38年)1月29日:銀山駅を新設。 8月1日:北海道鉄道(初代)の高島駅 - 小樽駅(初代)間が延伸開業し、函館駅 - 旭川駅間全通。小樽駅(初代)にて北海道炭礦鉄道に接続。 9月15日:北海道官設鉄道・北海道炭鉱鉄道・北海道鉄道(初代)の間で旅客・小荷物・貨物の連絡運輸開始。 12月15日:歌棄駅を熱郛駅に、磯谷駅を目名駅に、真狩駅を狩太駅に、忍路駅を蘭島駅に、高島駅を小樽中央駅にそれぞれ改称。 1906年(明治39年)9月8日:北海道炭鉱鉄道と北海道鉄道(初代)の直通列車が函館駅 - 札幌駅間で運行開始。 1907年(明治40年)7月1日:北海道鉄道(初代)の函館駅 - 小樽駅(初代)間が国有化。
※この「北海道鉄道」の解説は、「函館本線」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「函館本線」の記事については、「函館本線」の概要を参照ください。
北海道鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:11 UTC 版)
「国鉄230形蒸気機関車」の記事における「北海道鉄道」の解説
北海道鉄道へは1902年製の2両が納入されており、製造番号3, 4である。同社ではB1形(3, 4)とされた。これらの総軸距は官設鉄道A8形と同一の5944mmで、官設鉄道へ納入されたものと異なっている。これは台湾総督府鉄道へ渡った製造番号1, 2と同仕様である。鉄道史研究家の川上幸義は、製造番号1, 2と同様、製造番号3, 4も台湾総督府鉄道向けに見込み生産したものではないかと推定している。1909年の改番では、269, 270となった。
※この「北海道鉄道」の解説は、「国鉄230形蒸気機関車」の解説の一部です。
「北海道鉄道」を含む「国鉄230形蒸気機関車」の記事については、「国鉄230形蒸気機関車」の概要を参照ください。
- 北海道鉄道のページへのリンク