第七戦隊などの出撃と輸送作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 10:18 UTC 版)
「コロンバンガラ島沖海戦」の記事における「第七戦隊などの出撃と輸送作戦」の解説
日本海軍は、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦の結果、ソロモン方面の連合国軍の残存水上兵力は「巡洋艦3隻、駆逐艦6隻」程度と判断した。また、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦で巡洋艦を伴った連合国軍艦隊が出現した事を鑑み、南東方面部隊に増援させていた第七戦隊を活用して残存水上兵力を撃滅し、輸送作戦を安全に実施できるようにするという計画を立てた。その前段階として、コロンバンガラ島への輸送物件を事前にブインに輸送することとなった。7月16日夕刻、輸送物件を載せた駆逐艦初雪(第11駆逐隊)と望月(第30駆逐隊)はラバウルを出港し、翌17日朝にブインに到着。ただちに皐月と水無月へ物件の移送作業を進めるも空襲を受け、初雪が沈没、皐月と水無月(資料によっては夕凪)が小破するという被害を受けた。一方、第七戦隊は鳥海などとともに16日夜にラバウルを出撃していたものの、ブインへの空襲の報を受けて一旦退却した。7月18日夜、以下のような顔ぶれで輸送作戦を再開する事になった。 主隊:重巡洋艦:熊野〔第七戦隊旗艦〕、鈴谷、鳥海 第三水雷戦隊:軽巡洋艦川内〔第三水雷戦隊旗艦〕:駆逐艦雪風、浜風、清波、夕暮 輸送隊:駆逐艦三日月、水無月、松風 主隊および第三水雷戦隊は7月18日22時にラバウルを出撃し、翌19日夕刻に輸送隊と合流した。主隊と第三水雷戦隊はクラ湾北方で敵艦隊を捜索するも遭遇せず反転し、輸送隊は23時40分にコロンバンガラ島の泊地に到着して7月20日0時35分までに揚陸作業を終えた。しかし、艦隊は姿を見せなかったものの、一連の第七戦隊など行動は「ブラックキャット」の異名を持つ夜間哨戒仕様のアメリカ海軍のPBY「カタリナ」によって筒抜けとなっていた。「ブラックキャット」機の報告によりガダルカナル島から夜間攻撃隊が出動し、引き揚げる第七戦隊と第三水雷戦隊を攻撃する。夕暮が最初の攻撃で轟沈し、次いで熊野にも魚雷が命中して舵故障等の被害を与えた。清波は夕暮の救援のため反転するも、2時30分以降消息が途絶えた。輸送隊の水無月と松風も至近弾で損傷した。アメリカ軍の損害について、雪風は対空砲火で4機を撃墜したと主張している。残存艦艇は17時30分にラバウルに帰投した。軍令部総長は昭和天皇に対し、この戦闘について以下のように報告している。 一一三〇、軍令部総長、戦況〔奏上〕。 ○昨夜の「コロンバンガラ」輸送は、予定通実施さる。敵機の攻撃ありしも、被害なし。掩護隊(7S及d数隻)クラ湾西方にて夕刻より敵機の触接を受け、今朝一時頃、爆雷撃を受く。「熊野」〔重巡洋艦〕魚雷一命中、舵故障、但し26kt〔ノット〕にて避退中。「夕暮」〔駆逐艦〕爆撃により艦体切断沈〔没〕、之が救援の「清波」〔同上〕消息不明となる。午後、六月二四日GF行幸の記録映画、下見す(無声)。夜、天覧あらせらる。 — 昭和18年7月20日 火曜日、城英一郎著/野村実編『城英一郎日記』301-302頁 日本軍の輸送作戦自体は成功したものの、昼夜分かたぬ航空攻撃を避けるため、これ以降コロンバンガラ島への輸送作戦に使用するルートをベラ湾、ブラケット水道経由に切り替える事を余儀なくされた。 7月22日、水上機母艦「日進」が駆逐艦3隻(萩風、嵐、磯風)の護衛のもと、戦車などの輸送物資を載せてコロンバンガラ島へ向かったが、ショートランド近海で米軍機の空襲により撃沈された。 「日進 (水上機母艦)#沈没」も参照
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