発展と沈静化の兆し
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1973年のオイルショックを契機に高度成長から安定成長期へと移行し、人々の関心は経済的安定や社会的上昇から個々の内面的な充足や多様な価値観を求める志向へと変化すると、漫画の世界もそれと並行して日常生活の機微を反映したものへと移行した。 この時代には従来の梶原作品に対抗して、「健全さと明るさ」を基調としたさわやかなスポーツ漫画に回帰する動きが始まったとされる。それまで『男どアホウ甲子園』をはじめ、いくつかの野球漫画を手掛けていた水島新司は、梶原による作品群が物語を描く上で野球をはじめとした競技を小道具のように扱っていることに反発があったといわれる。1972年から1981年にかけて連載された野球漫画『ドカベン』では、ライバル同士の対決を描きつつも社会階層の対立軸や根性的要素は薄れ、「秘打」と呼ばれる必殺技の要素を残しつつも魔球の描写は排除し、現実的な試合展開と個性的な登場人物による人間ドラマを描いた。 『ドカベン』と同時期に連載されたちばあきおの野球漫画『キャプテン』や『プレイボール』では根性や努力といった要素を残しつつも魔球などの空想的な要素を排除し、等身大の登場人物たちが部活動に打ち込む姿に焦点を当てた。漫画コラムニストの夏目房之介は水島の作品群や、ちばの『キャプテン』が従来の「魔球によるライバル対決」から「集団スポーツの駆け引き」という構造に転換しえた理由について、読者層の年齢上昇による野球理解の変化を挙げている。 また、1976年から1981年にかけて『週刊少年サンデー』で連載されたボクシング漫画『がんばれ元気』(小山ゆう)は、主人公・堀口元気が亡き父の遺志を継いで努力を重ねチャンピオンを目指す内容となり、主人公を裕福な家庭から過酷なプロの世界に飛び込ませることで従来の「貧困からの脱却」「社会的上昇」といったテーマに異議を唱える形となった。この作品をもって、「生死を賭けた戦い、血の特訓、必殺技、悲劇的結末」といった梶原型スポ根からの転換点とする見方もある。 少女誌においても、1973年から1980年にかけて連載されたテニス漫画『エースをねらえ!』(山本鈴美香)では、作品序盤は努力型の主人公・岡ひろみ、ライバル・竜崎麗香、鬼コーチ・宗方仁といったスポ根ものの構造を残していたが、作品が進行するに従ってそれらの枠組みから脱却し登場人物たちが自立し成長する物語へと変化した。前出の米澤は「勝負の面白さ、勝ち負けといったエンターテインメントとしてのスポ根ドラマを拒否したところから、『エースをねらえ』は始まる」と評した。 ただし、ちばの作品群については指導者の姿を意識的に排除し、部員たちが自主的・自発的に活動する姿を描きながらも、教育評論家の斎藤次郎が「野球を楽しむというのは、手抜きや遊びで『弄る』のではない」と評するように過酷なまでな部活への取り組みが描かれ、小山の『がんばれ元気』については元々『あしたのジョー』を意識した作品であり、ライバルや師匠の悲劇的な結末や旧来的な特訓も描かれた。『エースをねらえ』については飽くなき求道精神のため、恋愛をも「精神修行のための一プログラム」としてあつかうなど、いずれも苦行的要素、禁欲的要素を残す形となった。 スポ根における特徴の一つだった魔球や必殺技の要素は1972年から1976年にかけて連載された野球漫画『アストロ球団』(原作:遠崎史朗、作画:中島徳博)においていっそう過激化し、作品終盤では超人選手によって次々に生み出された「必殺技」により多数の死傷者を生み出す、デスマッチの場と化した。評論家の竹熊健太郎は「『巨人の星』が貧困の克服(高度経済成長)を背景にした1960年代の神話とすれば、この作品は社会が安定し『貧困』という動機づけを喪失した1970年代の神話である」としている。一方、『ドカベン』の作者である水島は野球漫画『野球狂の詩』の中で魔球を存在ではなく情報として扱い、魔球という言葉により相手に精神的重圧を与える、試合における「駆け引き」の道具として描くことによって「魔球」を否定した。これらの作品によってスポ根の特徴だった荒唐無稽な要素は退潮し、スポーツ漫画は現実的な作風へと転換していった。
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