生物学における生命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 14:26 UTC 版)
生物学では、生物の示す固有の現象を生命現象と呼ぶ。生命とは、その根元にあるものとの思想があり、生気論もその一つである。 生命現象には様々な側面があるが、一般に生物学では、根本的な生命の定義に関わる部分は、その内部での物質交換と外部との物質のやりとり、および同じ型の個体の再生産にあると考えられている。また、そのような性質を持つ最小の単位が細胞であるので、細胞を生命の最小の単位と見なし、それから構成されるものに生命を認める、というのが一般的である。植物の種子などのように、著しく代謝活動が不活発な状態でも代謝活動の再開が見込める場合には生きている、と呼ぶ。 ところが、ウイルスやウイロイドなどの存在は判断が難しい。ウイルスを生物とするか無生物とするかについて長らく論争があり、いまだに決着していないと言ってもよい。 ウイルスは増殖はするが代謝を行っていない。増殖について言えば、宿主となる生物が持つ有機物質合成機能のシステムの中にウイルスが入り込むと、宿主のシステムが言わば誤動作を起こしてしまいウイルスを増産してしまう。形状について言えば、ウイルスはDNAやRNAなどの核酸とそれを包む殻から成っている。概して幾何学的な形状を持っており、あるものは正二十面体のような多角立方体、あるものは無人火星探査機のようなメカニカルな形状をしており、同一種はまったく同形で、生物全般に見られる個体の多様性が見られない。代謝について言えば、ウイルスは栄養を摂取することがなく、呼吸もしないし、老廃物の排泄もしておらず、つまり生命の特徴である代謝を一切行っていない。また1935年にはすでにタバコモザイクウイルスの結晶化が成功している。結晶というのは、同じ構造を持つ単位が規則正しく充填される。この点でもウイルスは生物というよりは物質と言える側面があることがわかった。これらの相違点があるので普通はウイルスを生物とは認めない。また、ウイロイドというのは、寄生性RNAのことで、ウイルス同様に宿主内のシステムが異常なものであることを判別できずに増産してしまう等々の特徴はウイルス同様であり一般に生物とは認めない。ただし、これらも自己複製という点だけに着眼すれば単なる物質から一線を画しており、「ウイルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである」とも福岡伸一は表現した。 近年の生命の定義の試みは多数あり主要なものを挙げただけでも相当な数になるが、参考までにその一例を紹介すると、例えば福岡伸一は、ルドルフ・シェーンハイマーの発見した「生命の動的状態」という概念を拡張し、動的平衡という概念を提示し、「生命とは動的平衡にある流れである」とした。生物は動的に平衡状態を作り出している。生物というのは平衡が崩れると、その事態に対して反応を起こす。そして福岡は、ノックアウトマウスの実験結果なども踏まえて、従来の生命の定義の設問は時間を見落としている、とし、生命を機械に譬えるのは無理があるとする。機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり交換したりすることもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、生物には不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、二度と解くことのできないものとして存在している、とした。 「生物」も参照 ジャンプする鯨 鳥の群れ グレート・バリア・リーフのさんご礁、アオヒトデ、魚 モンテネグロの森林
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