猪山家
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「武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新」の記事における「猪山家」の解説
猪山直之 - 堺雅人 加賀藩御算用者猪山家8代目。初登場の時は御算用方見習い、後に御算用方となって天才的な算盤遣いを揶揄されて同僚からは「算盤馬鹿」と呼ばれる。父と共に御蔵米勘定役を勤めた際、蔵米を巡る藩の不正を上司に訴えるが揉み潰され、婚姻直後に能登輪島への転任を命じられる。しかし、直後に起きた一揆(安政の泣き一揆)により不正が発覚、藩の目付が御算用方に手入れに入り、不正に関わった藩士が処罰されるに至る。後に重臣の奥村に唯一不正を暴いた功績が認められて、藩主前田斉泰の側仕え(御次執筆役)に抜擢される。 しかし、次は猪山家の家計が火の車であることを知ると、嫡男の成之の4歳を祝う宴に出す鯛を、紙に鯛の絵を書いた睨み鯛ですませ、不満を漏らす両親に借用書を叩きつけて説得する。家財道具を質入れすることで質素倹約に努め、猪山家を立て直すことに成功する。また、成之に対しても厳しく教育し、算盤が扱えるようになると家計簿の記入を任せるなど、将来御算用者として恥ずかしくないように育てていくが、父の死を境に互いの考え方が対立するようになり、成之が新藩主前田慶寧に重用されると疎遠になっていく。 明治10年に軍人となった成之と再会した時はすでに病に侵されており、満足に歩けない状態であった。最後は成之に背負わされ、昔話をしながら川べりを歩き城が見たいと言い、負ぶわれたまま向かう。1878年(明治11年)歿。 猪山駒 - 仲間由紀恵 直之の妻。御算用方として務める直之と結婚し、当初は台所場にも姿を見せるが、その姿を義母の常に諭され、猪山家のやり方を教え込まれる。しかし、そのツケが家計を火の車にしてしまっており、直之に現状を知らせる。夫婦で猪山家の立て直しを図る一方で母としての顔も見せ、夫が我が子に対して厳しく当たった際は強く非難する。1897年(明治30年)歿。 猪山成之 - 伊藤祐輝(幼少時:猪山直吉 - 大八木凱斗) 直之の嫡男。元服後、御算用方として出仕するが、父の生き方に反発し、西洋式陸軍の調練に進む道を見出だす。藩主斉泰に重用されて禁門の変にも出陣するが、退却後の斉泰の厳しい処分を巡って父と対立し、徐々に疎遠となっていく。鳥羽・伏見の戦いの後、官軍・長州(正確には周防)の大村益次郎に抜擢されてその配下で働く。明治10年に手紙を受け取り、父の病状が思わしくないことを知ると加賀に里帰りをし、父との再会を果たす。1920年(大正9年)歿。 映画は、海軍主計大監となった成之の回想で始まり、終わる。 猪山春 - 桂木悠希 直之の妹。 猪山熊 - 濱田帆乃果 直之の子で、成之の妹。父が家財を売り払い、借金を大幅に返済していた当日に生まれる。 猪山綱太郎 - 林素矢 成之の子。父の後を追い、海軍に入る。 猪山政 - 藤井美菜(竹中政:荒田悠良) 成之の妻。直之の姪。 猪山常 - 松坂慶子(特別出演) 直之の母。キセルで煙草を吸い、友禅に凝っており、嫁いできた駒にも友禅を勧めたりして家計を圧迫させている。家財道具を質入れする際は、直之が元服した際に着た着物を手放したくないと泣いて訴える。後に病に伏せると、直之の指示で駒が着物を買い戻し、寝ている布団の上に広げてみせる。その直後に病歿。 おばばさま - 草笛光子 直之の祖母。算盤や文学などに精通している。四文をなくしてガッカリしている成之に「鶴と亀が合わせて百います。足の数は全部で二百七十二本。鶴は何羽、亀は何匹いるかな。お前の父はこれを五歳で解いたぞ。」とお題を出す。婿養子の信之が病歿した後、成之がお題の答えを告げに行き、倒れているのを見つける。 猪山信之 - 中村雅俊 直之の父。猪山家7代目で婿養子。かつて藩主斉泰の正室・溶姫の婚礼の準備役を命ぜられたことがあり、江戸屋敷の門の外側のみ赤く塗る節約手法を見出したことを常々自慢話としている。その時の功績により、猪山家当主で初めて知行地を得ており、また直之が御次執筆役に出世すると御算用頭に昇進する。しかし、直後に猪山家の家計が火の車だと直之に指摘され、趣味で収集した陶器の多くを手放す羽目となる。後に孫の成之を背負って川べりを夜、散策し月齢の説明をしているときに、心の臓の病を得て病歿する。
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