江戸屋敷とは? わかりやすく解説

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江戸屋敷

読み方:エドヤシキ(edoyashiki)

所在 福岡県久留米市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒830-0059  福岡県久留米市江戸屋敷

江戸藩邸

(江戸屋敷 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 03:39 UTC 版)

江戸藩邸(えどはんてい)は、江戸時代江戸に置かれた藩邸(屋敷)である。ただし、江戸時代当時の歴史的呼称ではなく、後世つくられた歴史用語である[1]。当時は、単に武家屋敷もしくは江戸屋敷と呼ばれ、個別の屋敷は当該屋敷を使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。


  1. ^ 歴史学では、江戸時代の統治構造を指して幕藩体制と呼ぶことがある。しかし、明治初年に府藩県三治制が定められるまで、「」という用語・概念が広く用いられることはなかった。江戸時代を通じて、「藩」ではなく「家」(イエ)を中心とした制度が運用された。
  2. ^ 慶長10年(1605年)に結城秀康越前藩)が拝領した麹町屋敷(上屋敷)は子・松平忠直(改易)から孫・松平光長高田藩新規立藩)に伝わった。また、元和5年(1619年)に松平忠昌(高田藩)が拝領した龍ノ口屋敷(上屋敷)は忠昌の福井藩相続後も変更されることはなく、次代藩主の松平光通に伝わり、明暦3年(1657年)の明暦の大火で消失した。ただし忠昌が「利便性」を選んだとも、兄の子を憐れんだためとも伝わる。
  3. ^ 例えば、50万石の格式を持った家が減封処分となり5万石となった場合、以降の格式・財政ではこれまでの大屋敷を維持できず「身分不相応」とされ屋敷を替えられることがあった。
  4. ^ 富山県公文書館『とやまの歴史 将軍綱吉。加賀藩本郷上屋敷御成り』富山県、1998年、p93頁。 
  5. ^ a b 金行信輔「描かれた大名屋敷」、「加賀殿再訪―東京大学本郷キャンパスの遺跡」(東京大学コレクション)。文化庁編『戦災等による焼失文化財[増訂版]建造物篇』便利堂、1983年(文化庁編『戦災等による焼失文化財』戎光祥出版 2003年



江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:41 UTC 版)

高遠藩」の記事における「江戸屋敷」の解説

元禄11年1698年)、甲州街道面した藩の中屋敷一部収公され、内藤新宿現在の新宿区内藤町)として発展した上屋敷神田鷹匠町現在の千代田区神田小川町)、下屋敷は下渋谷村現在の渋谷区恵比寿)に存在した

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 23:33 UTC 版)

佐土原藩」の記事における「江戸屋敷」の解説

上屋敷三田綱町にあり、現在、綱町三井倶楽部となっている。1878年当時三井組三井銀行)に売却した島津本家の芝屋敷は三田増上寺南側広大な屋敷(21785坪余)があり、その西側佐土原屋敷位置する抱屋敷南品川宿にあった

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 20:14 UTC 版)

岩村藩」の記事における「江戸屋敷」の解説

上屋敷:東京都千代田区丸の内2-7-1 現在は「三菱UFJ銀行本店」がある。 中屋敷:東京都中央区日本橋浜町1丁目 下屋敷:深川(東京都江東区)・元文3年(1738年)拝領

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:09 UTC 版)

高須藩」の記事における「江戸屋敷」の解説

荒木町 (新宿区)にあった

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:30 UTC 版)

美濃衆」の記事における「江戸屋敷」の解説

西高木家明暦の大火により江戸屋敷を焼失したその後跡地火除け地とされ、代地与えられなかったために東高木家同居することとなった諸大名の江戸屋敷と違い美濃衆の江戸屋敷には留守居を含む2、3人の家臣常駐しているだけであり、同居が可能であった同居状態は文政8年1825年)に東高木家屋敷火災遭うまで続けられた。 明治維新後、明治元年12月上旬高木家中大夫区分され東京定府命じられたが、翌明治2年2月中旬には京都にて提出した定府免除願い認められ結局高木家当主東京居住することは一度もなかった。

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江戸屋敷

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御附家老」の記事における「江戸屋敷」の解説

御三家附家老5家は、江戸初期慶長の頃より主家とは別に江戸屋敷を拝領していた。それぞれの主家屋敷周り屋敷構えており、基本国詰め政務紀州安藤家以外の附家老屋敷は、時代とともに敷地拡大していった。

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 22:26 UTC 版)

桑名藩」の記事における「江戸屋敷」の解説

上屋敷 北八丁堀 9,301坪(内河岸685坪) 寛永13年1636年松平定綱屋敷拝領したのが始まりと言われる江戸時代通じて上屋敷として使われた。元禄7年1694年1月23日門前の堀に架かる越中橋と言ったが、戊辰戦争松平定敬負けたので、以後久安改名された。今は堀底が道路となっていて久安健在である。 中屋敷 元矢之倉 1,760坪余(松平丹波守へ貸す) 寛政5年1793年12月28日巣鴨にあった中屋敷替えて拝領した寛政5年7月23日松平定信白河藩主)が老中退任しているので、それに関係があるかも知れない文化5年1808年4月13日に元矢之倉屋敷市ヶ谷2,700坪余と交換している。しかし弘化3年1846年)閏5月18日市ヶ谷屋敷交換し、元矢之倉1,760坪余を入手している。 中屋敷 深川富岡八幡宮610何時ごろから拝領しているのか不詳である。この屋敷江戸湾面しているので、船が発着する蔵屋敷であった思われる下屋敷築地 15,676坪4合余(内346坪余稲葉長門守へ貸す)下谷竹門にあった屋敷交換する形で松平定信幕府老中首座在任中の寛政4年2月12日拝領したもので、定信功績により与えられ屋敷である。ここは一橋家屋敷地一部であった。ここに定信庭園造り浴恩園名づけた。 下屋敷 白金503坪(伊達若狭守へ貸す) 天保14年1843年8月7日に、蛎殻町下屋敷3,937坪と交換して拝領したのであるが、面積大きく違っているし、且つ中心部から離れた場所との交換桑名藩独自で抱えている屋敷は、小石川大塚11,765坪、上大崎村・下大崎村入会4,796坪などがあった。

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江戸屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 00:10 UTC 版)

吉良義周」の記事における「江戸屋敷」の解説

鍛冶橋吉良邸(上屋敷) - 元禄11年1698年9月6日まで。現在はパシフィックセンチュリープレイス丸の内千代田区丸の内1-11-1呉服橋吉良邸(同) - 元禄14年1701年8月19日まで。敷地は約2700坪あり、上杉綱憲(義周の実父)が建築費25000両余を提供している。現在は大丸グラントウキョウノースタワーが建つ。千代田区丸の内1-9-1本所吉良邸(同) - 元禄赤穂事件当夜に、義周が在邸し重傷墨田区両国3-13-9。 麻布谷町吉良家中屋敷 - 現在の六本木1丁目。 麻布一本松吉良家下屋敷 - 現在の元麻布大黒坂・一本松坂。敷地は約1600坪。向かい側増上寺隠居所(萬治二年までは麻布氷川神社)があった。現在の屋敷跡にはオーストリア大使館大法寺など。一本松坂を進むと御神木一本松」が現存。のち有馬東条旗本屋敷になる。港区元麻布1-1-10~20砂町銀座小名木川吉良家抱屋敷蔵屋敷) - 父・義央に因む上野こうづけ)堀通り」の地名が残る。現在の北砂三丁目西大島駅から10分)。

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