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おおむら-ますじろう おほむらますじらう 【大村益次郎】
防府歴史用語辞典 |
大村益次郎 (おおむらますじろう)
近代日本人の肖像 |
大村益次郎 おおむら ますじろう
生年が文政7年(1824)とする説もある。山口生まれ。町医の家に生まれ妻の実家の村田家を継ぐ。梅田幽斎、緒方洪庵に蘭学を学び、洪庵の適塾では塾頭になる。嘉永6年(1853)宇和島藩に出仕し、蘭学の教授を行うとともに軍政改革に参画。その後講武所教授として幕府に出仕。万延元年(1860)長州藩雇士となる。第2次長州征討には石州口軍事参謀として活躍し、休戦後も藩の軍制改革を進めた。その後、新政府に出仕し、明治2年(1869)7月兵部大輔として兵制の近代化に着手したが、同年9月京都で攘夷派浪士に襲われ負傷し、療養中に死亡した。
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大村益次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 14:47 UTC 版)
大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政7年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)、のちに益次郎。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。
- ^ 木村紀八郎「大村益次郎伝」165-169頁。
- ^ 「故兵部大輔大村永敏ヲ弔シ贈位賜幣ヲ宣ス」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)、第1巻、18。
- 1 大村益次郎とは
- 2 大村益次郎の概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
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