最初の衛星とロケットの開発
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「インドの宇宙開発」の記事における「最初の衛星とロケットの開発」の解説
1972年、宇宙委員会と宇宙庁(英語版)が設置された。インド政府は宇宙開発のためのより野心的な目標を設定し、国産の打ち上げロケットの製造が決定された。初の国産打ち上げロケットとなったSLV3は固体燃料式の4段ロケットで地球低軌道へ40kgの積荷を打ち上げることが出来た。他国の多くは弾道ミサイルから打ち上げロケットを派生させているが、インドの場合はこのロケットを基礎として後にアグニ弾道ミサイル(英語版)系統を開発している。SLVの開発責任者であったアブドゥル・カラームはその後のインドの誘導ミサイルの発展に重要な役割を担った。1974年、国立探知局(NSRA)が設立された。1975年に、インドの天文学者アリヤバータに因んで名づけられたインド初の衛星アリヤバータがソ連のカプースチン・ヤール発射場からコスモス3Mロケットで打ち上げられた。重さ360kgの衛星であり、低軌道で科学実験が行われる予定であったが打ち上げ数日後に通信が失われた。 1977年にフランスとの宇宙協力協定が締結された。また、1978年には衛星打ち上げと関連サービス、アメリカのランドサット衛星の撮影した画像の使用などでアメリカと協定を締結した。国産打ち上げ機のSLV3の初打ち上げは1979年に行われ、一度目は失敗だったものの、1980年、81年、83年の3回の打ち上げではロヒニ系統の衛星を低軌道に投入した。1979年にはインド初の地球観測衛星となるバースカラIがロシアで打ち上げられた。バースカラIは水文学、地質学や森林資源管理のためのデータ収集を目的としており、可視光と赤外線の2種のカメラが搭載されていた。同等の性能のバースカラIIが1981年にも打ち上げられている。 1980年の初め、十分な打ち上げ能力を持っていなかったインドは打ち上げ能力を拡大することを指向し、ISROは低軌道に150kgの投入能力を持つSLV3よりもより強いロケットの開発を決定した。計画はASLVと名づけられ、SLVをほぼ変更なく利用し、2機のロケットブースターを取り付けた改良型であった。 1981年、ISROはインド初の実験静止通信衛星APPLE(英語版)をアリアンロケットで打ち上げた。インドはフォード・エアロスペース(英語版)と共に4基の衛星からなるINSAT-1シリーズを開発し運用した。INSAT-1Aは1982年に打ち上げられたが打ち上げ後に障害が発生し83年9月に破棄された。INSAT-1Bは同様の目的で1983年に打ち上げられた。この系統はテレビ用の2機のトランスポンダと通信用の12機のトランスポンダを積んでおり、気象の分野でも利用されている。これは21多目的衛星の系列衛星の始まりであり、徐々にインド国内に衛星通信と衛星放送の広域網を提供していった。 1984年、インドとアメリカは技術移転契約に調印したが、米国は東側諸国への機密技術の流出を恐れたため実現は依然として困難であった。一方、1984年4月3日にソ連のインターコスモス計画の一環としてインド空軍パイロットのラケッシュ・シャルマが初のインド人宇宙飛行士としてソユーズT-11で打ち上げられ、サリュート7号に11日間滞在した。同年秋、インド政府はソ連のエルブルース(英語版)コンピューターの運用を開始している。1988年にはソ連のロケットで初のインド製造の地上観測衛星IRS 1A(英語版)が打ち上げられた。1988年、アリアンロケットがINSAT-1Cの打ち上げを行ったものの打ち上げ後に失われた。INSAT-1の最後となった4機目のINSAT-1Dは1989年に打ち上げられ、その後もインドが独自のロケットを持つまでINSATはアリアンロケットで打ち上げられた。 ASLVは1987年と1988年の最初の2回は打ち上げに失敗し、1992年の3回目の打ち上げは軌道が低すぎる部分的失敗となった。最後の打ち上げとなった4回目の打ち上げで拡大ロヒニ衛星シリーズ(英語版)の最後の1機を衛星軌道に投入している。
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