日本軍将校の東京裁判における証言とは? わかりやすく解説

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日本軍将校の東京裁判における証言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)

通州事件」の記事における「日本軍将校の東京裁判における証言」の解説

極東国際軍事裁判東京裁判)では、1947年4月25日通州事件関連する14件の証拠却下され、1件が撤回され、1件が未提出であったこのうち通州事件直接言及しているのは、昭和12年8月2日付の外務省情報部長声明通州事件に関する公式声明書」(弁護文書番号: 1109)と同年8月4日付の外務省情報部長談「通州事件」(弁護文書番号: 1107であったが、双方とも「外務省スポークスマン発表証拠価値無し」との理由ウェッブ裁判長即決却下された。 一方萱嶋高中将鎮雄少佐桜井文雄少佐の3名の証人口述書が受理され1947年4月25日午前11時から1158分の間に萱島出廷し宣誓供述書読み上げ午後1時32分に桜井出廷し証拠写真三点提出し宣誓供述書読み上げた 萱嶋高中将7月30日午前3時河邊旅団長から事件救援命じられ急行した。敵は退却しており、戦闘なく午後4時到着した城内は實に凄愴なもので到る無惨日本居留民死體が横はつて居りまして殆ど全部死體には首に縄がつけられありました頑是なき子供死體婦人虐殺死體は殆ど見るに耐えませんでした。(略)私は直ち城門閉ぢ城内捜索始め殘つて居る日本人狩り集めました七、八百人居りました日本人で集まつて来たのは百五十名位でありまして三百五十名位は死體として発見されました。殘り二、三百名何處か逃げたか或ひは虐殺されたか不明ありました。(略)一、旭軒とか云う飲食店見ました。そこには四十から十七八歳迄の女七、八名は皆強姦され、裸體陰部露出した射殺され居りました。其の四、五名は陰部銃剣で突刺されいました。家の入口には十二三歳位の男子通学姿で射殺されてゐました。家の内は家具布団衣類何物もなく掠奪されていました其の他日本人家屋は殆ど右同様の状態でありました。 二、商館役所室内残され日本人男子屍體射殺又は刺殺されたものでありますが殆どすべてが首に縄をつけ引き回し形跡があり、血潮は壁に散布され全く言語に絶したものでありました。 三、錦水楼云う旅館凄惨ありました同所危急感じた通州日本人集まった所でありましたものの如く大量虐殺受けております玄関入口附近には家財器具破壊散乱し目ぼしきものは殆ど掠奪せられ、宿泊していた男子四名は座敷射殺されいました。錦水楼女主人女中数珠繋ぎにされ手足縛された儘強姦され、遂に斬首されたと云うことでした。 四、某日本人夫婦嬰児三名天井裏隠れ辛うじて難を逃れていましたが、其の下で日本人次から次へ虐殺されてゆくのを見たと私に告白していました。 — 萱島高法廷番号2498: 萱島高宣誓供述書弁護文書番号: 1090速記録 鎮雄少佐通州第2連隊歩兵砲中隊長代理7月31日午前2時半通州到着し掃討従事。 一、私は七月三十一日午前八時頃、旅館水楼参りました。錦水楼の門に至や、変り果てた家の姿を見て驚くと共に屍体より発する臭気に思はず嫌な気持なりました玄関の扉も家の中障子家具取り毀され門の前から家の奥まで見透すことが出来ました入口に於て水楼女将らしき人の屍体見ました入口より廊下に入るすぐの所で足を入口方に向け殆ど裸で上向き寝て顔だけに新聞紙掛けてありました本人は相当に抵抗したらしく、身体の着物寝た上で剥がされた様に見え上半身下半身暴露しあちこち銃剣突き刺したあとが四つ五つあつた様に記憶します、これが致命傷であつたでせう。陰部刃物えぐられたらしく血痕散乱して居ました帳場配膳室如きは足の踏み込み場所もない程散乱し掠奪の跡をまざまざ見せつけられました。 廊下右側女中部屋日本婦人四つ屍体があるのを見ました全部掻いて死んだ様でしたが銃殺の故か屍体比較綺麗であつて唯、折り重なつて新で居りましたが一名だけは局部露出し上向きになつて死んで居ました室内散乱は足の踏み場所もない程でありました次に帳場配膳室入りました。ここに男一人、女二人が横倒れとなり或はうつぶし或は上向いて死んでおりここの屍体強姦せられたか否か判りませんが闘った跡は明瞭で男は目玉くりぬかれ上半身蜂の巣の様でありました。女二人何れも背部から銃剣をつきさされた跡が歴然と残つて居ました次に廊下入りました階下座敷に女の屍体二つ、これは殆ど身に何もつけずに素つ裸で殺され局部始め各部分に刺突の跡を見ました次に二階に於て四五人の屍体発見、これは比較綺麗に死んでおり布団かぶせてありました。唯脚や頸や手が露出しておるのを見ました布団をはがす気にはなれませんでした。 池に於て二三人の屍体浮かんでおるのを望見しましたが側へ行つて見る余裕はありませんでした。 二、市内某カフエーに於て、私は一年前に行つたことのあるカフエーへ行きました扉を開けて中へ入りました部屋散乱しておらずこれは何でもなかつたかと思ひつつ進んだ時、一つボツクス中に、素つ裸の女の屍体ありました。これは縄で絞殺されおりました。カフエーの裏日本人の家がありそこに二人親子惨殺され居りました子供は手の指を揃えて切断され居りました。 三、路上屍体 南城門の近く一日本人商店がありそこの主人しきものが引つぱり出されて、殺され屍体路上放置されありました。これは胸筋の骨が露出し内臓散乱して居りました。 — 鎮雄法廷番号2499: 鎮雄宣誓供述書弁護文書番号: 1139、速記録 桜井文雄少佐支那駐屯歩兵第二連隊小隊長。7月30日午後4時通州到着し掃蕩開始1.先づ守備隊東門出ます殆んど数間間隔居留民男女惨殺死體が横はつて居るのを目撃し一同悲憤に達つしまし敵兵見当たりませんでしたので夜半専ら生存者収容に擔りました。「日本人居ないか」と連呼乍ら各戸毎に調査して参りますと、鼻部に牛の如く針金通され子供や、片腕切られ老婆腹部銃剣刺され妊婦等から彼所此所の塵、埃箱の中や壕の内、塀の蔭等から続々這い出して来ました。2.某飲食店内には一家悉皆首と両手切断惨殺されて居るのを目撃しました婦人云う婦人十四五歳以上は悉く強姦されて居りまして全く見るに忍びませんでした。3.旭軒と云う飲食店入りますとそこに居りました七八名の女は全部裸體にされ強姦射(刺)殺され居りまして陰部に箒を押込んである者、口中土砂填めてあるもの、腹部縦に断ち割つてあるもの等全く見るに堪へませんでした。4.東門近く或る鮮人商店附近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手併せてそれに八番鉄線通し(貫通)一家六名数珠継ぎにして引廻された形跡歴然たる屍体ありました池のは血で赤く染まつて居たのを目撃しました斯くして一応の掃蕩終了しましたのは夜の九時過ぎであつたと思ひますそれ迄に私の掃蕩担任地域内で目撃しました惨殺死體は約百名収容しました重軽傷者は約二十名と記憶して居ります此等死傷者中には発狂して居る者も若干あり殆ど茫然自失の状態でありました。(略) — 桜井文雄法廷番号2500: 桜井文雄宣誓供述書弁護文書番号: 1140、速記録

※この「日本軍将校の東京裁判における証言」の解説は、「通州事件」の解説の一部です。
「日本軍将校の東京裁判における証言」を含む「通州事件」の記事については、「通州事件」の概要を参照ください。

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