日本へ向け、復路航海出発。そして、大阪への帰港、航海生活の完結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:05 UTC 版)
「「ブラインドセーリング」プロジェクト」の記事における「日本へ向け、復路航海出発。そして、大阪への帰港、航海生活の完結」の解説
そして、ロサンゼルス時間の6月22日午前5時58分(日本時間:6月22日午後9時58分)、曇天の中、日本に向けて復路の太平洋横断航海をスタートさせた。往路の航海にて、備蓄の食品と飲料用の水の大半が残存していたため、生活用水を補充した以外の生活に必要な物品補充は行わなかった。 復路航路は往路とは違い、1日も早く日本に帰国する事が目的であるため、最短距離である大圏コースで航路を選択するが、貿易風を追い風として得るために、出港後から南へ進路を向け、無寄港横断に拘らず太平洋諸島のマーシャル諸島等の小島に寄港することも視野に入れて、ハワイ島を目指す航路を取っていた。出港以後からハワイ島に寄港する事も匂わせていたが、浅瀬にあるサンゴ礁帯で座礁する恐れがあることを鑑みて、避かわしつつ、再度アメリカ合衆国の入国手続きを取る事が煩雑で、貿易風の追い風も順調であったため寄港しない事を選択を行ない、ハワイ島南約100~150kmの近海を通過。日本近海で台風が発生した際は父島に避難入港する準備を取っており、最悪の場合は父島でゴールすることを弱気になって思慮していたが、大阪へ帰港することを再度決断。また、硫黄島を遠巻きに眺めながら慰霊航海するつもりで算段していたが、南硫黄島から北北東6kmに所在する海底火山福徳岡ノ場が噴火したことに伴い、それも避ける方向で大阪へ向けて帰港している。 7月27日午前0時19分に復路の日付変更線を通過。しかし、日付変更線前後で無風帯に入ったことで、当初想定していた8月中旬の到着が厳しいことを算段しており、8月5日放送分の同コーナーで到着日の算段が出来ることを告白し、同月17日放送分にてバッファ込みで同月25日に淡輪に帰港出来る算段をしていたが、日本近海で強いの追い風が吹いたこともあり、1日短縮した。8月24日午前9時19分にホームハーバーである淡輪ヨットハーバーに帰港し、帰港時は出港時にできなかった、ハーバーメンバー有志によるホーン打ち鳴らしと花火の打ち上げで迎え入れられて、辛坊の航海は完全に完結した。帰港の模様は、往路のサンディエゴ到着時と同じく『垣花正 あなたとハッピー!』の番組内で生中継を実施し、帰港第一声を伝えた。 帰港直後の感想として、サンディエゴ到着時と同じくHIROとHIROのパートナーである米国人男性を褒め称え、その後、ボランティアクルーから花束を贈呈され、時折涙を流しながら読売テレビや自身のYoutubeチャンネル向けのコメント録りを行い、この太平洋横断航海自体が「無謀だった。皆んなにはお勧め致しません。」と強く語った。その後、改めてYouTubeチャンネル向けの動画を撮影し、出港時に達成した登録者数10万人突破記念の銀の盾の贈呈を行った後、ハーバーに留まり酒盛りを実施。その後、『ミヤネ屋』の生放送への電話出演と『ズーム』の同月同日放送分の生放送冒頭と17時台に出演し、帰国後の生活で番組出演や往復航海の冒険譚を元に再び講演活動を行う旨を質問されたが、「ニュース解説を行うにも航海に出ていたため、細かい情報を知らないため。これから4ヶ月分の新聞を読み込むため、復帰は時間が掛かる」と示しているが、番組復帰前提で当該航海に就航して来たことから、当然ラジオ番組には全て復帰する予定である意思を示して来た。到着日は、終日丸々淡輪ヨットハーバーに滞在し、船艇キャビンで生活しており、到着日からKAORIN Vの船内に置かれていた航海に使った食材や物品等を撤去し、翌日は新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止に伴う日本国入国後の自主隔離が船員向けの入国管理特例が適用されていることもあるが、追跡調査はされないが自主隔離は行うため、枚方市楠葉の自宅に帰宅。自宅の私物整理を行いつつ、翌同月25、26日と『ズーム』の電話中継コーナーを継続。東野幸治がMCを務める『アドベンチャー魂』(BS-TBS)の同乗ロケの後に、KAORIN Vをそのまま売却した。しかし、船艇についてはKAORIN Vよりもダウンサイジングしたヨットを中古購入しており、今後また新たに航海に出る事を目論んでいる。 航海中の計画ミスで、既往症である高血圧を抑制する薬剤を航海中6ヶ月分を、掛かり付け医に特別に処方して貰っていたが、持参数を勘違いし3ヶ月分を自宅に忘れて来てしまい、サンディエゴにも差入れて貰うのを忘れ、航海中のふとした時の不安から心拍数の上昇状態に陥ったり、ヨットのメンテナンス中にデッキシューズを履かずに作業したため、右足中指にブロックという大きな滑車が当たり、骨折したとしている。 帰国後の番組出演については、1週間跨いだ9月第2週の聴取率調査週間向け編成での出演時にニッポン放送との出港時の約束通り、番組出演することを明言していたが、航海中友人・知人が亡くなっていた事もあり、太平洋上で死生感が変化したことに伴って、自分の時間へリソースを投入する方向性を決断し、帰国後は単身で北海道の道東や青年期を過ごした埼玉県入間市や秩父周辺に赴き、自身の人生の振り返りの旅を実行。その他に近畿圏のキャンプ場等でソロキャンプを行ないつつ、『ズーム』にスタジオ出演復帰予定であった10月第一週の前週から4ヶ月分の大手日刊紙の読み込みを行い番組に復帰した。しかし、Kiss-FMの番組については、前述の時間リソースを考慮した結果、番組に戻らない決断を行った事で番組自体終了となった。
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