放映終了後とは? わかりやすく解説

放映終了後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:29 UTC 版)

機甲戦記ドラグナー」の記事における「放映終了後」の解説

無敵超人ザンボット3』に端を発した名古屋テレビ発の土曜夕方テレビアニメは、路線違いこそあれ10年余りにわたってサンライズ制作創通エージェンシープロデュースによるロボット作品連作続いていたが、本作品の終了と共にこの流れにも一区切り付けられ後番組にはジャンル制作会社なども含めそれまでとは趣を異とする『宇宙伝説ユリシーズ31』(1981年制作)が配された。また同番組終了後の『鎧伝サムライトルーパー』(1988年)からは再び本時間帯におけるアニメ制作サンライズ手掛けるものの、メインスポンサー広告代理店それまでバンダイ創通エージェンシーから、タカラ東急エージェンシーへと変更されるなど制作体制にも変化生じた他、『勇者エクスカイザー』(1990年)が放送されるまでの間はロボットアニメ以外の路線志向された。 番組終了後ビデオテープによる全話映像ソフト化はされず、1999年から2000年にかけてLD発売されているが、DVD爆発的普及期と発売重なったため販売は奮わず、ほどなくして廃盤となっている。一方で1998年発売されリアルロボットアクションゲームリアルロボッツファイナルアタック』、2001年発売されシミュレーションRPGスーパーロボット大戦A』に登場したことをきっかけに、以降『スーパーロボット大戦シリーズ』や、『A.C.E.』にも登場。これらゲーム作品への登場によって人気再燃し2005年冬にはDVD-BOX発売される至った2022年に、放送35周年としてブルーレイボックス発売発表されている。

※この「放映終了後」の解説は、「機甲戦記ドラグナー」の解説の一部です。
「放映終了後」を含む「機甲戦記ドラグナー」の記事については、「機甲戦記ドラグナー」の概要を参照ください。


放映終了後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:38 UTC 版)

ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事における「放映終了後」の解説

残され日本テレビ動画スタッフらは、グロス請け先の支払い金を充てるために会社備品など売れるものは全て売り払い社屋引き払いのため本作に関する資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。しかし、実際には、川本征平のように全く支払われなかった外注スタッフもおり、川本日本テレビプロデューサーから「制作費は既に日本テレビ動画支払っているから、これ以上払えない」と言われたという。また、川本によると、自らが社長務めたアトリエロークと、同じく背景美術手掛けたスタジオじゃっくには発注元である日テレビ動画から支払われる最終2話分のギャラ未だに支払われていない。この件に関して「私の後任プロデューサーは局と外注スタッフとの板ばさみになって非常に苦労された」という企画当初プロデューサーである川口晴年の証言存在する。 真佐美最終回放映され9月30日の夜、日本テレビ動画解散に伴う社屋引き払いのためセル画絵コンテなどの制作資料を、浦和市(現・さいたま市内の荒川河川敷止むを得ず焼却処分したと証言している(本編フィルム焼却していない)。このような理由から、結果的に本作資料当時スタッフ個人的に所有している一部のものを除いて、ほぼ現存しないとみられている。 様々な想い馳せたライトバン一杯詰まったセル画、せりふ台本絵コンテカット表シナリオ原本色見本色指定キャラクター集、現金出納帳目の前で燃えていったことを、真佐美は「わが子を荼毘に付す気持ちでした」と、当時心境回想している。放送終了後も藤子・F・不二雄後述する作品内容への評価とは別に個々スタッフ姿勢に対して好意的であり、真佐美放送終了後に藤子本人会い行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらった述べている。 日本テレビ動画解散後元スタッフらは田無市西原アパート日本テレビ動画労働組合作り失業保険受け取りながら管財人との交渉拠点としていた。その後元スタッフらは就職先決まったり、仕事廃業して田舎帰ったりしていたので、日本テレビ動画労働組合1975年3月活動終結した本作フィルム放送終了後も日本テレビ7年管理されその間地方局貸し出されることもあった。再放送は、日本テレビ平日朝の再放送枠おーい!まんがだヨー』(関東ローカル)で1974年・1975年行われたのをはじめ、テレビ朝日系アニメ第2作開始される1979年までの5年余りの間に、複数の局で比較多く行われていた。 フィルム日本テレビでの管理期間終了後散逸して行方不明になっていたと思われていたが、安藤健二調査により、本作現像担当した東洋現像所(現:IMAGICA)が1995年横浜工場閉鎖する際の在庫整理で、最終話を含む後半16分のネガフィルム発見し同社委託している東京湾岸の倉庫保管されていることが判明した現存状況については後述)。 編成上、日曜7時日本テレビ制作から読売テレビ制作切り替えられ、元々月曜7時半に放送されていた「全日本歌謡選手権」が移動空いた月曜7時は一旦日テレビ制作変更し木曜7時半に放送していた『ほんものは誰だ?!』が移動した木曜7時は夜8時に放送していた「木曜スペシャル」を枠拡大するように変更された。 なお日曜7時アニメ放送されたのは、1968年4月7日から1969年9月まで放送された『ディズニーランド以来だが、『ディズニーランド』は「海外作品」「1時間番組」「実写併用であったため、「国産」「30作品」「オールアニメ」は『ドラえもん』開局以来初めであったその後、同では1989年に『シティーハンター3』、1991年『シティーハンター'91』それぞれ放送されるが、いずれもよみうりテレビ制作作品であるため、日本テレビ制作作品『ドラえもん』唯一となった本作放送終了後、日本テレビ制作単発アニメT・Pぼん』が1989年放送されるまでの間、日本テレビ系列新作藤子アニメ放送されることはなかった。

※この「放映終了後」の解説は、「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の解説の一部です。
「放映終了後」を含む「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事については、「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「放映終了後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「放映終了後」の関連用語

放映終了後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



放映終了後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの機甲戦記ドラグナー (改訂履歴)、ドラえもん (1973年のテレビアニメ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS