平地部とは? わかりやすく解説

平地部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:26 UTC 版)

小田原城」の記事における「平地部」の解説

近世大久保忠世稲葉正勝によって改修され部分現在の小田原城址公園及び、その近辺である。主要部のすべてに石垣用いた石垣造りの城である。佐倉城川越城どのように土塁のみの城の多い関東地方においては殊と言え関東入口としての小田原城重要性伺える。なお、現在のような総石垣の城になったのは寛永9年1632年)に始められ大改修後のことである。本丸中心に、東に二の丸および三の丸重ね本丸西側屏風岩曲輪、南に小峯曲輪、北に御蔵米曲輪設け、4方向守り固めていた。この他小峯曲輪二の丸の間に部曲輪、二の丸南側お茶壺曲輪および馬屋曲輪二の丸北側弁才天曲輪と、計4つ小曲輪が設けられ馬出うまだし)として機能した建造物としては、本丸天守および桝形常磐木門、二の丸には居館門、平それぞれ設けられ小田原城全体では、城門13棟程、が8基程建てられいたもの考えられている。江戸末期には、海岸に3基の砲台建設されている。 明治初期に殆どの建物取り壊されたが、本丸二の丸茶壺曲輪馬屋曲輪復元進んでいる。部曲輪には図書館郷土文化館が置かれ小峯曲輪報徳二宮神社屏風岩曲輪遊園地となっている。御蔵米曲輪球場となった後、一時的に駐車場となっていたが、現在復元整備中。弁財天曲輪城址公園外の住宅地となっており、商工会館や旭丘高校が建つ。

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平地部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 15:16 UTC 版)

首都高速神奈川3号狩場線」の記事における「平地部」の解説

平地部はすべて高架構造であり、大半区間中村川上空通過する着工前の川幅は27 - 28 mほどあったが、本道建設同時に施工され護岸改修により22 mに縮小し橋脚敷を確保した中村川には関東大震災被災し大正から昭和初期にかけて復旧され十数本あったが、建設省横浜市から受託し架け替えられた。沿道市街化進んでおり、中村川左岸にあたる上り線側の用途地域商業地域右岸近隣商業地域低層住宅密集しているうえに、右岸後方120 - 200 mにある高さ50 mの崖からの反射音も懸念された。横浜市立大学病院横浜市立中村特別支援学校をはじめ特に静穏を必要とする施設隣接していることから騒音対策への配慮求められた。この区間概ね東西構築されており、日照阻害を防ぐため、防音壁極力低く抑える必要がある。そこで、新幹線などで採用実績があり、1.5 mの従来型防音壁同等効果得られる干渉防音壁と、高架橋二層構造部分では上層部下面吸音板が設置された。 石川町JCTから山下町出口側は堀川筋高架橋花之木出入口側は中村川高架橋呼ばれこのうち堀川筋高架橋1983年土木学会田中賞受賞している

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