宗教の自由と政経分離原則との矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:31 UTC 版)
「天皇制廃止論」の記事における「宗教の自由と政経分離原則との矛盾」の解説
明治維新後、天皇は現人神とされて神道国教化や神仏分離が進められ、大日本帝国憲法第28条では信教の自由は規定されたが、天皇崇拝は国家の祭祀であり臣民の義務であるとして事実上強制され、異を唱えた一部の仏教、キリスト教、新興宗教などが宗教弾圧された(神道非宗教論、国家神道)[要出典]。 日本国憲法第20条では信教の自由と政教分離が規定された。歴代政府は、天皇が行う憲法上の国事行為は特定の宗教によらないが、天皇が行う大嘗祭などの神道による宗教行為は「皇室による私的行事」と説明する[要出典]。 これに対して天皇は神道の神話や神道儀礼と不可分一体の関係にあることから、天皇を国家体制の一部とすることは日本国憲法で保障された政教分離や信教の自由に違反するとの議論や訴訟がある[要出典]。 以下、主要宗教毎の事例を記す。 仏教 仏教を開祖釈迦はシャカ族の王子として生まれたが、厳格な身分制度に嘆き出家して覚りを開いてカースト制度を否定したことで知られる。そのことから、仏教徒の一部には天皇制に反対する者がいる[要出典]。 キリスト教 弓削達(元フェリス女学院大学学長)、福田歓一らキリスト教徒の学識者によって天皇制廃止論が唱えられた。 1927年創立のWatch Tower(日本燈台社:現在のものみの塔聖書冊子協会)の日本支部員の3名が1939年に召集され、「天皇は元来宇宙の創造主ヱホバに依り造られたる被造物にして、現在は悪魔の邪導下にある地上の一機関に過ぎざるが故に、天皇を尊崇し、天皇に忠誠を誓う等の意思は毛頭なき」ことなどを述べ、不敬罪に問われた。 神道 大本の「十二段返しの歌」という七五調の宣伝歌の四段目を右から左に読むと「綾部に天子を隠せり」、八段目を左から右に読むと「畏多くも、今の天子偽者なり」とあった。出口王仁三郎は不敬罪・治安維持法違反で起訴され、裁判では出口は関与を否定したが不敬罪で有罪となった。教団の綾部・亀岡の聖地はダイナマイトで破壊された。逮捕された信者のうち16名が拷問で死亡した。大本事件参照。 イスラム教 イスラーム教国、特にアラビア半島にはカリフ・スルタン・首長などと呼ばれる君主のもとで、いまだに選挙制度が導入されず、伝統的な専制君主制が続いている国が多い。しかしながら、昭和初期の日本の天皇との関連では、天皇は現人神とされたため、伝統的なスンナ・シーア派の教義に抵触していた。正統イスラームでは神が人間に具現化すると考えるのは異端であり冒涜的であると考えられており、個人を神に例えるのは罪の一つと考えられている[信頼性要検証]。戦中、日本がオランダ領東インドと英領マラヤ(大半がイスラム教徒)を占領していた頃、皇居の方角へ向かって拝む「東方遥拝」を強制したため、現地人の反発を招いた[要出典]。
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