娯楽や美育、幅広い目的の柔道とは? わかりやすく解説

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娯楽や美育、幅広い目的の柔道(慰心法)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 18:09 UTC 版)

講道館」の記事における「娯楽や美育、幅広い目的の柔道(慰心法)」の解説

嘉納治五郎は1889 (明治22) 年に大日本教育会において文部大臣らを招き、「柔道一班並ニ其教育上ノ価値」と題した講演行い柔道目的として体育勝負、修心を挙げて、「此學科全國教育科目ノ中ニ入レマシタナラバ目下教育上ノ缺点ヲ補フコトノ出来ル」と述べ全国教育機関とりわけ中学校への採用国民への普及主張していく。 こうした嘉納活動剣道界の尽力により、1911 (明治44) 年に撃剣柔術正課採用果し柔道日本の中学校における正科になる。その後嘉納柔道目的として慰心法含めて発表し、さらに新し要素運動の楽しさ乱取試合、そして形を見る楽しみ、芸術形式としての形による美育を含む)を柔道に付け加え柔道における幅広い目的主張していく。 嘉納当時国内において採用されていた西洋式の普通体操面白み無く学校卒業後長く続けられないことに関する当時教育家からの不満と、柔道様々な利益逆に競技運動面白く長く続けられるという社会的背景から慰心法新し発想生み出した。 1913(大正2)年、嘉納は「柔道概説」に「柔道は柔の理を応用して対手制御する術を練習し、又其理論講究するものにして、身体鍛錬することよりいふときは体育法となり、精神修養することよりいふときは修心法となり、娯楽享受することよりいふときは慰心法となり、攻撃防禦方法練習することよりいふときは勝負法となる」と記し柔道は「柔の理を原理とし、身体鍛錬には体育法、精神修養には修心法娯楽には「慰心法」、そして攻撃防御習得には勝負法となる」と説いた。 「慰心法」の内容は「慰心法とは柔道娯楽として修行する場合をいふ。眼の色を楽み耳の音を楽むが如く筋肉も亦運動して快楽感ずるものにして、人が他の人と筋肉使用して勝負決する如きは更に大なる快楽のこれに伴ふこと論を侯たざるなり、且自ら其の快楽感ずのみならず勝負の仕方、業の巧拙等を味ひてこれを楽み得る素養ある人は、他人勝負見て快樂感ずるはまた當然のことなり。殊に名人試合起倒流扱心流の形、講道館五の形柔の形如きものに至りては、眞に勝負の形たる性質離れ自ら美的情操を起さしむるものにして、其の見る者に快楽を感ぜしむるや大なり。かく單純な筋肉快楽より高尚な美的情操に至るまで快楽を得るを目的として修行するは、これを慰心法として柔道修行すといふ」と述べ運動勝負の楽しみ 他人勝負や技の巧拙を見る楽しみ 他人形を見る楽しみ などを例に挙げたまた、修行に際しては「柔道はかく四様の着眼点より修行するを得るものなれど、實際に於てはこれを兼ね修むるを得策とす・・・(中略)・・・慰心法として修むるときも亦同様にして、実益の伴はざる娯楽人事多端世に於て多くこれを貧ることを得ざるものなれど、種々の實益を伴ふ柔道娯楽は、これを享くること多きも益を得ることありて毫も其弊を見ず」と述べ、慰心法以外の目的兼ねて練習を行うことで楽しみながらも体育勝負、修心上の利益を得ることが出来ると主張した。 しかしその後嘉納言説の中から「慰心法」の名称は見られなくなり、再び「体育法」「勝負法」「修心法」を中心したものになっていく。それでも1915年3月の「立功の基礎柔道修行」の中に見られるように体育法としては 運動の種類多く老若男女適す多目的興味尽きない 実生活に役立つ といった3つの利点挙げた嘉納は1について「柔道他の運動比して最も多く目的有し、従って先から先へと尽きぬ興味がある。一体育そのものより外に目的のない運動やその目的明かでない運動は、興味感じないのである興味のない運動は、人に持績して行はせることも出来ず熱心に練習させることも出来ず体育方法として価値少ないものである然るに柔道身体強健にする外に、己を護り人に勝つことを目的とし、五體自由自在に動作させることを目的とし、精神の摩礪を目的として居る為に競争興味、業の熟練興味人格上の興味美的感情養成、その他言せぬ程多様興味喚起し知らず識らずの間に体育上の功果を収めることが出来る」と述べ競技楽しさ魅力1つ挙げている。このように「慰心法」の名称は消失するが、その内容柔道奨励一手段として位置づけられていく。 しかし明治後期から対校試合隆盛と共に試合対す学生関心は高まる一方で学生間の紛擾学校間の対立などが生じることになる。やがて大正後期になると高等専門学校柔道大会活況呈し学生母校名誉のために過熱し様々な弊害現れてくることになる。それらに対し嘉納は慰心法代わり状況改善策講じ柔道を本来のあり方戻そう腐心していくことになる。 時代下り第二次大戦後には軍事的色彩強しとして一時禁止されていた柔道であったが、1949昭和24)年には全日本柔道連盟結成され翌年1950年には学校柔道解禁される講道館三代目館長となった嘉納履正著書伸び行く柔道一戦八年歩み一』において「スポーツとしての柔道」と題し快適なスポーツとして柔道練習方法を考へる場合、必ずしも鍛錬主義全面的によいとは言へず、 教育的な見地からその対照によっては再考すべき点もあるであらう。講道館柔道一部では、旧弊な非スポーツ的なものであるといふ様な誤解もあるが、遠く明治四十三年嘉納治五郎書いた柔道説明の内に、 柔道は・・・(中略) ・・- 娯楽享受する事より云ふ時は慰心法となり・・・(中略)・・・とある様娯楽としての柔道の面も唱ってゐるので、決し講道館柔道単なる武道的な厳しい面を強調するものでなく、心を慰むるものとして、則ちスポーツ字義通り内容をも具備するのである」と述べこれまでの柔道勝負精神面強調され過ぎたが、娯楽意義今後大切であると説いている。柔道「慰心法」の存在意義再認識する時ともいえる。

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娯楽や美育、幅広い目的の柔道(慰心法)

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柔道」の記事における「娯楽や美育、幅広い目的の柔道(慰心法)」の解説

講道館#娯楽や美育、幅広い目的の柔道(慰心法)」も参照 明治22年の「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」の講演からも後に、嘉納柔道目的として慰心法含めて改め発表し、さらに新し要素運動の楽しさ乱取試合、そして形を見る楽しみ、芸術形式としての形による美育を含む)を柔道に付け加え柔道における幅広い目的主張していく。1913(大正2)年、嘉納は「柔道概説」に「柔道は柔の理を応用して対手制御する術を練習し、又其理論講究するものにして、身体鍛錬することよりいふときは体育法となり、精神修養することよりいふときは修心法となり、娯楽享受することよりいふときは慰心法となり、攻撃防禦方法練習することよりいふときは勝負法となる」と記し柔道は「柔の理を原理とし、身体鍛錬には体育法、精神修養には修心法娯楽には「慰心法」、そして攻撃防御習得には勝負法となる」と説いた

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