大阪府海会寺跡出土品とは? わかりやすく解説

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大阪府海会寺跡出土品

主名称: 大阪府海会寺跡出土品
指定番号 503
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 奈良室町
年代
検索年代
解説文: 本件は、泉南市信達大苗代一岡【しんだつおおなわしろいちおか】神社境内、旧和泉国日根郡呼唹郷【いずみこくひねのこおりおおごう】に所在する寺院跡から出土した資料一括である。昭和五十六年の試掘調査端緒に、昭和五十八六十一年度に範囲確認調査が行われ、塔・金堂講堂回廊南門築地【ついじ】等の主要伽藍【しゆようがらん】、各種遺構発見された。伽藍配置出土遺物等から、寺院創建七世紀後半考えられるが、主要伽藍九世紀代火災でいったん廃絶その後何棟かの掘立柱建物建てられ平安時代後期に再び金堂基壇利用した堂宇再建され再興後の寺院室町時代まで存続したようである。
 海会寺の名称は、元禄十三年(一七〇〇)の序文がある『泉州志【せんしゆうし】』巻之六に、行基【ぎようき】創建寺院で、天正兵火焼失した見え、『日本霊異記【にほんよういき】』の巻中【まきなか】にある「書惠寺【かきえじ】」のことであるとする。また、海会寺跡に近い長慶寺寺伝には、長慶寺がもと海会寺の子院であり、海会寺神亀元年(七二四)、聖武天皇勅命創建永延二年(九八八)に諸堂宇焼失長徳三年九九七)に再興されるが、天正五年(一五七七)、織田信長雑賀攻め兵火罹り再び焼失したとある。これらの記録から、創建時寺名確認する手だてはないが、箆書【へらがき】須恵器には「於□」と記したものがあり、「呼唹寺【おおでら】」を想定する説もある。
 指定品は、軒丸瓦のきまるがわら】・軒平瓦のきひらがわら】・鴟尾【しび】残欠・〓【せん】等からなる瓦〓【がせん】類二〇三箇露盤【どうろばん】(石製露盤共)残欠一箇分・金銅風鐸こんどうふうたく五箇分・銅相輪どうそうりん】部品残欠四二箇からなる塔の部材、〓仏【せんぶつ残欠九箇、土製如来坐像【どせいによらいざぞう】残欠二箇、塑像【そぞう】残欠三七箇、および箆書【へらがき】・墨書【ぼくしよ】須恵器残欠三箇構成される
 軒丸瓦のうち、寺院創建関わるものは、山田寺やまだでら】式の単弁重弁八弁蓮華文たんべんゆうべんはちべんれんげもん軒丸瓦二種と、川原寺かわはらでら】式の複弁八弁蓮華文【ふくべんはちべんれんげもん軒丸瓦二種に限られ金堂には山田寺Ⅰ型式、塔には山田寺Ⅱ型式と川原寺式の瓦が用いられていたことも判明している。軒平瓦は、重孤文の破片三箇出土しているに過ぎず創建期に軒平瓦用いられていなかったと考えられる。また九世紀に焼亡するまで、これら以外の軒瓦補充されていないが、再興後の所用瓦で、瓦当面【がとうめん】に宝塔ほうとう】や、独尊坐像どくそんざぞう】を型押しした軒丸瓦もある。さらに各種相輪部品のうち、露盤凝灰岩製【ぎようかいがんせい】の露盤石【ろばんせき】と組み合う、他に例のないものである
 本件一括は、多量の瓦〓類から、中央直結し地方寺院あり方窺うことができるのみならず、〓仏・塑像風鐸等の多彩な遺物も、白鳳期伽藍における、堂内外の荘厳実態をよく示す。その後消長を示す室町時代軒瓦加えて極めてまとまりのある資料であり、その価値は高い。



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