大阪府陶邑窯跡群出土品
主名称: | 大阪府陶邑窯跡群出土品 |
指定番号: | 565 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 2005.06.09(平成17.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は大阪府陶邑窯跡群から出土した、古墳時代から平安時代までの資料一括である。 遺跡は大阪府の堺市、和泉市、大阪狭山市にまたがる地域の三丘陵に所在する。現大阪湾を遠望する位置に当たり、標高は40~50メートルを測る。 昭和37~39年に泉北【せんぼく】ニュータウン建設に先立つ分布調査が大阪府教育委員会によって行われ、昭和36~39年には平安学園が担当して、昭和40~60年には大阪府教育委員会によって発掘調査が行われた。その結果、建設予定地となる三つの丘陵から、須恵器を中心とする400基の焼成窯、四つの古墳群、一四か所の集落が見つかり、陶邑窯跡群は東西10キロメートル・南北六キロメートルの丘陵三つを包括する大窯跡群であったことが判明した。なお陶邑窯跡群の調査によりコンテナ約八万箱の考古資料が見つかっている。 「陶邑」は『日本書紀』にもその名が見られる。須恵器は朝鮮半島からもたらされた「陶器」の技術であり、この技術によってより堅緻な、頑丈な土の器が作り出されることとなり、窯業史上の重要な転換点となる。 今回は陶邑窯跡群の初期須恵器製作期(五世紀)から平安時代(九世紀)までの約500年間にわたって製作された須恵器の編年基準となる資料に、文字資料や窯道具類を加えて指定するものである。須恵器2572点、窯道具類3点、瓦〓類10点から構成される。 本窯跡群出土の須恵器は、その変遷が大きく五段階に分かれ、一般に「陶邑編年」と呼ばれ、須恵器研究の基準とされている。 わが国の窯業研究の基準資料として、その学術的価値はきわめて高い。 |
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