おおの‐すすむ〔おほの‐〕【大野晋】
大野晋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 00:21 UTC 版)
大野 晋(おおの すすむ、1919年〈大正8年〉8月23日 - 2008年〈平成20年〉7月14日)は、日本の国語学者。文学博士(論文博士・1962年)。学習院大学名誉教授。
注釈
- ^ 大野はタミル語を話せなかった[9]。
- ^ 本記事の#批判節を参照
- ^ これはタミル語に固有の特徴である[要出典]。
- ^ これは他のインド系言語にも共通する特徴である[要出典]。
- ^ 上代東国方言では、中央語/u/が/o/と発音される場合があった。この上代東国方言は、元中央語であった音韻を含んでいる可能性があるので上代では「ももそ」となる。
- ^ 大野は隼人の「吠声」というのは、隼人がヤマト言葉とは異なる言語を話していて、それが犬の吠えたような言葉であったので、吠声と記述したと推定する[要出典]。
- ^ 倒置表現とされる場合もあるが、新聞等にも見られ、修辞技法として意図されていないことが明らかとなっている[要出典]。
- ^ たとえば、サンスクリット語の「यथा・・・तथा・・・」の構文に従い、「எப்படி・・・அப்படி・・・」と表現するような実例がある。
- ^ 「発想の奇抜さゆえに一部で「学問公害」「疎論」などと論難を受け、出版社から干された時期もあった。一歩も引かず、百年後の友を求めて未踏の山坂をひとり歩いた信念の人である」(「編集手帳」読売新聞2014年8月15日)。
出典
- ^ a b c d e f g h i 「十川信介先生 略歴」『學習院大學國語國文學會誌』第34巻、學習院大學國語國文學會、1991年3月、3頁。
- ^ a b 川村二郎・著『孤高 国語学者大野晋の生涯』(集英社文庫、2015年)「第三章 戦争」
- ^ アクセスレポート 読む力は生きる力より
- ^ 間宮厚司 2020, pp. 108–109.
- ^ 大野晋『日本語をさかのぼる』p.211.
- ^ 紙村徹 2015, pp. 21–24.
- ^ 江実 1980, p. 216.
- ^ A Dravidian Etymological Dictionary,Emeneau and Burrow,Oxford,1961.(邦訳田中考顕監修、きこ書房、2006年)
- ^ 辛島昇 1981.
- ^ 大野 晋 (1987)『日本語以前』(岩波新書)などを参照。研究の集大成として、大野 晋 (2000)『日本語の形成』(岩波書店)を参照。
- ^ 大野晋『日本語の源流を求めて』岩波書店、2007年、pp44-46
- ^ 田中孝顕「日本語の起源」参照
- ^ 田中孝顕「ささがねの蜘蛛」参照
- ^ 大野晋『日本語の源流を求めて』岩波書店、2007年、p.81
- ^ 大野晋『日本語の源流を求めて』岩波書店、2007年、p.88-99
- ^ 大野晋『日本語の源流を求めて』岩波書店、2007年、p.99
- ^ 大野晋『日本語の起源 新版』P.114
- ^ 2006年、大野晋/金関恕編『考古学・人類学・言語学との対話…日本語はどこから来たのか』(岩波書店)
- ^ 1983年『東京大学公開講座 ことば』(東京大学出版会)の「ことばの系統」の項目
- ^ 『日本研究(国際文化研究センター紀要)』13/大野 晋 (1996)「「タミル語=日本語同系説に対する批判」を検証する」『日本研究』15/山下 博司 (1998)「大野晋氏のご批判に答えて―「日本語=タミル語同系説」の手法を考える」『日本研究』17
- ^ 『日本語と世界』(1989年、講談社学術文庫)参照
- ^ a b 「ロングセラーの周辺 『日本語の起源』大野晋著 タミル語説、豊富な証拠」『読売新聞』2000年11月4日付 東京夕刊、4頁。
- ^ 岩波新書 「現代」つかみ続けて70年、読売新聞、2008年6月3日。
- ^ 『朝日新聞』2008年7月14日夕刊から要約
大野晋(母音融合)
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「上代特殊仮名遣」の記事における「大野晋(母音融合)」の解説
大野晋は、万葉仮名の音読みに用いられる漢字の中国語における当時の推定音(中古音)等から、イ段乙類・エ段乙類・オ段乙類は甲類と異なる中舌母音を持っていたと推定した。IPA ではイ乙[ï(ː)]、エ乙[ɜ(ː)](説明では「半狭母音」と言っているので[ɘ(ː)]か)、オ乙[ö]。エとオの間に、わずかな発音の差しか持たない母音が2つも挟まり、半狭母音の列に4つもの母音が集中するこの体系は、明らかに不安定であったから、平安中期以降に京都方言など日本語の主要方言が、a, e, i, o, uの安定した5母音となる契機であったと大野は説明する。 また、8母音のうちイ乙・エ甲・エ乙・オ甲の4つは、そもそも発現頻度が相対的に少ない、専ら語中に出現する、という特徴があり、かつ複合語などで母音が連続する際に生じていることが多いことから、連続する母音の融合により生じた二次的な母音ではないか、と(これはすでに多くの研究者にも言われていたことであったが)発想し、次のような母音体系の内的再構を行った。 上代日本語よりも遥かに古い日本語には本来 *a, *i, *u, *ö (= o₂) の4母音があった。(日本祖語四母音説) 上代日本語のイ乙・エ甲・エ乙・オ甲は、上述4母音の融合によって生まれた二次的母音であった。具体的には、「ウ+イ甲」および「オ乙+イ甲」がイ乙(*ui, *əi > i₂)、「イ甲+ア」がエ甲(*ia > e₁)、「ア+イ甲」がエ乙(*ai > e₂)、「ウ+ア」がオ甲(*ua > o₁)に、それぞれ融合することで新しく二次的な母音が生まれた。 この内的再構から、大野はさらに日本語における動詞の活用の起源を説明した。四段動詞および変格動詞は語幹末が子音であり、上一段動詞・上二段動詞・下二段動詞は語幹末が基本母音であり、それぞれに語尾が接続する際に、母音が接触して母音融合が起きた結果、上古語にみられるような動詞の活用が発生したと理解すると、動詞活用のかなりの部分が説明可能となると考えた。以上の発想は現在の日琉祖語の理論でもある程度使われている。 大野は後に、この「本来的な4母音」が、オーストロネシア祖語(大野自身の表現では「ポリネシア語」)において推定される母音体系(*a, *e [ə], *i, *u)と類似していることから、日本語の基層にはオーストロネシア語が存在するのではないか、という議論も行った。 大野晋の4母音説は体系的に整ってはいるが、かならずしも充分な証拠があったとは言えなかった。とくにオ段甲類の起源については問題が多かった。セルゲイ・スタロスティンは大野晋を支持したが、オ段甲類が*ua に由来している理由として *ia > e₁ と変化が並行的である。 沖縄語の kwa「子供」に上代日本語の ko₁ は対応している。 くらいしか挙げることができなかった。 そのため、たとえばサミュエル・マーティンは ua または uə がオ甲になったという説について「これを支持するような良い例は全くと言っていいほど示されていない(Pitifully few good examples have been adduced to support this notion)」と言った(Martin 1987: 58)。
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