回天誕生とは? わかりやすく解説

回天誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 23:09 UTC 版)

黒木博司」の記事における「回天誕生」の解説

1942年昭和17年5月下旬から6月上旬ミッドウェー作戦に、黒木乗艦する山城」は、連合艦隊司令長官山本五十六大将第一艦隊司令長官高須四郎中将率い力部隊(戦艦部隊)として内地出撃した。ミッドウェー島に向け航行中6月1日付で黒木海軍機関少尉任官し引き続き山城」乗組を命じられた。6月5日ミッドウェー海戦で、日本海軍主力空母4隻を喪失する。「山城」は全く戦局寄与できず、燃料消費しただけで呉に引き揚げた。大艦巨砲主義に完全に見切りをつけた黒木は、潜水艦勤務熱望するようになった7月15日山城乗組を免ぜられ、呉鎮守府付となる。山城機関科分隊部下は、黒木との別離惜しんで涙で見送ったという。黒木海軍潜水学校普通科学生として採用された。真珠湾攻撃特殊潜航艇による片道攻撃(九軍神)に感銘受けていた黒木は、甲標的搭乗員熱望して血書送り配置転換実現した詳細は「甲標的」を参照 同年12月特殊潜航艇甲標的講習員(第6期)となる。倉橋島の特潜訓練基地(P基)で訓練や、甲標的改良励んだ1943年(昭和18年)4月1日から翌19年3月末まで、黒木は自らの血液で「鉄石心」という日記書いた同年10月黒木仁科関夫中尉(海兵71期)と同室となる。二人は「魚雷人間操縦し敵艦への命中率高くする」という、後の「回天」の原型となる人間魚雷発案した同時期、甲標的母艦であった特殊艦「千代田」軽空母改造され、もう1隻の甲標的母艦日進」は同年7月下旬ソロモン諸島沈没甲標的活躍できる場面限定されつつあった。11月末、黒木私淑する平泉の下を訪問し艦政本部へ重大進言の為割腹する」と別れ告げたが、説得により思い留まった。引き続き黒木仁科必死兵器開発嘆願するが、同年12月28日永野修身軍令部総長から「それはいかん」と却下された。なお黒木海軍上層部指導層に対して批判的で「中央の怠慢国賊というの外なし」と言い切っている。また人間魚雷だけで戦局変えられるとは考えておらず、海軍全体特攻精神徹底するほか勝ち目はないとしていた。 当時日本海軍は、ブーゲンビル島の戦いマーシャル諸島失陥によって、連合軍圧倒されつつあった。特に1944年(昭和19年)2月17日18日トラック島空襲で、航空機輸送船壊滅的打撃受けた2月26日遂に中央海軍工廠魚雷実験に対して黒木仁科両者考案した人間魚雷試作命じたが、同時に乗員脱出装置が無いのでは(兵器として)採用しない」との条件付された。それでも黒木仁科両者はその条件受け入れたことで試作続行され同年4月には試作された人間魚雷に「○6(マルロク)」の仮名称が付き艦政本部では担当主務部を定めて特殊緊急実験開始された。同年6月、「急務所見」と題する血書意見書作成し海軍上層部提出した。こうして同年7月試作機完成し即刻大入島発射場試験が行われたが、条件として付いた乗員脱出装置」が未完成だった為に装備されなかった外、試験終了後兵器として採用する為に新たな問題点幾つか挙がったが、これらの課題結局終戦まで未解決のまま、則ち発進すれば生還不可能・必死必殺特攻兵器となった同年7月10日日本海軍特殊潜航艇人間魚雷(回天)の訓練研究乗員養成目的とする「第一特別基地隊」を新編した(司令官長井満少将)。黒木仁科両名とも第一特別基地隊に配属された。同年8月1日米内光政海軍大臣によって正式に日本軍兵器として採用され黒木仁科両者考案最終的に認められ事となった。 詳細は「回天」を参照 1944年(昭和19年)8月15日大森仙太郎特攻部長は「この兵器(回天)を使用するべきか否かを、判断する時期だ」と発言明治維新船名からこの兵器を「回天」と命名した。そして同年9月1日山口県大津島黒木仁科板倉光馬少佐中心となって回天基地開設され全国から志願集まった搭乗員9月5日から本格的な訓練開始された。

※この「回天誕生」の解説は、「黒木博司」の解説の一部です。
「回天誕生」を含む「黒木博司」の記事については、「黒木博司」の概要を参照ください。

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