魚雷実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:20 UTC 版)
「ソーリー (潜水艦)」の記事における「魚雷実験」の解説
この頃、アメリカ潜水艦が使用していたマーク14型魚雷に「命中しても爆発しない」「目標手前で爆発する」「不安定に航走する」など不具合が多発していた。フリーマントルに拠点を持つ、南西潜水艦部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド少将(アナポリス1912年組)は、不平を述べる潜水艦艦長をなだめつつ、兵器を掌る海軍省兵備局にしばしば抗議を行っていた。しかし、兵備局がのらりくらりとかわして相手にしないことに腹を立てたロックウッド少将は、6月20日から実戦用魚雷と漁網を使用しての実験を行った。6月22日に最初の実験の結果を打電したが相手にされず、ロックウッド少将は2度目の実験を行った。 7月2日、ソーリーはこの実験に参加するためアルバニーに向かった。7月18日、ソーリーは漁網から800メートル離れたところから、航走深度を10フィートに設定された魚雷を4本発射。1本は漁網に穴を開けたものの、残り3本は漁網の下を通過し、21フィートの深度を航走していった。ロックウッド少将はこの結果を打電。電報を読んだ合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将(アナポリス1901年組)は、ニューポートで同様の実験をするよう命じ、やがてロックウッド少将の実験とほぼ同様の結果が出た。これを受けて、マーク14型魚雷の深度調整装置が改良され、不安定に航走する問題は一応の解決を見た。7月23日、ソーリーは潜水母艦ホーランド (USS Holland, AS-3) とともにオールバニを出港し、7月25日にフリーマントルに帰投した。
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