円蓋式バシリカおよびクロス・ドーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 19:57 UTC 版)
「ビザンティン建築」の記事における「円蓋式バシリカおよびクロス・ドーム」の解説
ハギア・ソフィア大聖堂やハギア・エイレーネー聖堂で試みられたような、バシリカとドームを融合する形式は古代ローマの世俗建築においてすでに確立されていたが、ビザンティン建築の歴史の中で一般的形態として確立されるのは6世紀ごろである。 ドーム・バシリカあるいは円蓋式バシリカ (Domed Basilica) と呼ばれるこの形式は、トンネル・ヴォールトを架けた身廊中央部に、身廊幅と同じ直径のドームを頂く正方形か長方形平面の教会堂である。側廊に据えた大きな角柱にアーチを架け、教会堂の短手方向で、身廊を横断するアーチはそのまま滑らかにトンネル・ヴォールトに連続するか、アーチが突出する。長手方向(側廊側)のアーチ下部はティンパヌムを構成し、開口部が設けられる。平面は単廊式(身廊のみで構成されるもの)か3廊式(身廊とそれを取り囲む側廊から構成されるもの)である。ハギア・ソフィア大聖堂、およびハギア・エイレーネー聖堂は基本的にこの形式である。 円蓋式バシリカには、クロス=ドーム・バシリカ (Cross-Domed Basilica) と呼ばれる、身廊部分がギリシア十字平面に近い形式になったものもある。ハギア・ソフィア大聖堂では、身廊と側廊を分けるアーケードとティンパヌムが、四隅に設けられた角柱の内側に設けられているため、角柱は側廊に隠され、南北のアーチは内部には露出していない。しかし、中小規模の教会堂で同様の形状にすると、身廊がかなり狭苦しく、空間の広がりを保つことができない。クロス=ドーム・バシリカは、ティンパヌムとアーケードを角柱の外側に構成することによって、身廊内部に広がりを持たせたものである。この場合、やや奥行きの深いアーチを持つ空間が短手方向にも伸びるため、身廊は十字型の平面となる。 ビザンティン様式が発展した東ローマ帝国には、ローマン・カトリックとは異なり、現在のギリシア正教やロシア正教と呼ばれる東方教会が広まっていた。東方教会は神の表現についてきわめて厳格であり、天国の断層序列は、イエスを最上位として、次にマリア、次いで大天使ミカエルとガブリエル、福音史家、使徒たち、旧約の預言者、聖者、初期キリスト教時代の教父の順に定められていた。また、初期キリスト教のバシリカ式教会堂のアプス上の半ドームの象徴的意味がますます強く意識されることとなっていき、東方教会のドーム構造が重要な要素となっていった。 円蓋式バシリカやクロス=ドーム・バシリカは、5世紀末から9世紀までビザンティン建築で採用されたが、内接十字型がビザンティン建築の主流として確立されると廃れてしまった。しかし、12世紀には一時的にリヴァイヴァルされている。現存する代表的な円蓋式バシリカは、上記に挙げた聖堂のほか、ミュラ(現・デムレ)のアギオス・ニコラオス聖堂(8世紀ごろか?)、デレアジの廃墟となっている聖堂(名称不明、9世紀初期?)、721年ごろに創建されたテッサロニキのハギア・ソフィア聖堂などがある。特にテッサロニキのものはクロス=ドーム・バシリカの典型例として引用される。12世紀にリバイバルされたものでは、コーラ修道院中央聖堂(12世紀初期)やコンスタンティノポリスのカレンデルハネ・ジャーミイ(12世紀中期)が挙げられる。カレンデルハネでは側廊が失われ、集中性の高いギリシア十字型平面になっている。これらは、もはやバシリカとは言えないような形式となっているため、単にクロス=ドーム (Cross-Domed Church) とも呼ばれる。 ハギア・エイレーネー聖堂(6世紀)平面。円蓋式バシリカ。 カスル・イブン・ワルダンの教会堂(6世紀)。円蓋式バシリカ。 テッサロニキのハギア・ソフィア聖堂(8世紀末)平面。クロス・ドーム・バシリカ。 コーラ修道院付属聖堂(12世紀)創建時の平面。クロス・ドーム・バシリカ。
※この「円蓋式バシリカおよびクロス・ドーム」の解説は、「ビザンティン建築」の解説の一部です。
「円蓋式バシリカおよびクロス・ドーム」を含む「ビザンティン建築」の記事については、「ビザンティン建築」の概要を参照ください。
- 円蓋式バシリカおよびクロス・ドームのページへのリンク