初期キリスト教時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 15:16 UTC 版)
ピリッポイで知られている最初の聖堂は、小さな建物で、元来は祈りのための小さな家であったと思われる。敷石のモザイク碑文から「パウロ聖堂(バシリカ)」と呼ばれるこの建物は、343年のセルディカ教会会議に出席した主教ポルピュリオスの書簡から、その頃に建てられたと推定される。 この土地においてパウロがキリスト教徒共同体を創建した証拠は、考古学上も文献上も存在しないが、ピリッポイは5世紀と6世紀にこの地方のキリスト教の中心となり、それはパウロの宣教に由来すると考えられた。他の都市と同様、ピリッポイには多くの新しい教会建築が建てられた。4世紀中ごろから6世紀にかけて、7つの異なる聖堂が建てられ、そのうちの幾つかは美しさと大きさにおいてテサロニケやコンスタンティノポリスの著名な聖堂に比肩するものとなった。パウロ聖堂のあった場所には、5世紀の終わりに大聖堂が建てられた。大聖堂は八角形で、コンスタンティノポリスの聖堂にも劣らなかった。 この時代に、バルカン人の脅威に備え、市の城塞が再建された。473年に、ピリッポイは東ゴート人に包囲された。市は陥落をまぬかれたが、周辺の村落が焼き討ちにあった。
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