全人教育と小原の教育理念
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「小原國芳」の記事における「全人教育と小原の教育理念」の解説
小原國芳と澤柳政太郎は、明治、大正、昭和と教育政策、教育活動に携わる過程で、様々な問題に遭遇し、本当の教育とは何か?本当の学校教育とは何か?を長年に渡って模索し、追究していた。明治からの日本は基本的に欧米をはじめとする西欧列強文明の模倣が中心であり、当時の明治政府主導の下欧米列強に追いつくことをスローガンに欧米の思想・哲学や技術、制度、風習、そしてそれらを達成するための教育システム(教育哲学や教育制度)が輸入され、欧米に軽んじられない国を目指して近代日本の枠組みが整備されていった(そのため、日本ではオランダ(慶應義塾大学等)やドイツやフランス(陸軍士官学校、東京帝国大学等)、イギリス(海軍兵学校、早稲田大学等)などの西欧の伝統的な教育思想に倣った教育機関(学校)が多く作られた)。この時、江戸時代までの日本的、東洋的な教育哲学や思想、教育システムが廃され、新しく欧米流の教育哲学・思想に基づく、教育システム、教育方法が導入されていった。この明治の西洋式の教育システムの導入によって、専門的な知識のみを施す教育や学生生徒の人格や個性を考慮せず、一律のテストの優劣のみによって人物を評価する手法が一般化し、様々な問題が生じた(一般的に江戸時代までの日本の教育は日本的、東洋的な精神を持ったリーダーを作ること(大和魂を持った調和ある人格形成)が基本だったが、明治までの教育は西欧の進んだ専門的な知識や技術を持った専門家のみを作る教育が中心であり、リーダー(指導者)的な資質=人格や精神などの人間性教育は個人の任意に委ねられ、特に顧みられることは無かった。そのため、その後、指導者層の人格的なトラブルが起きたり、派閥争いやセクショナリズムが形成されてしまったり、昭和の時代に問題化している)。さらに、小原らは、明治~昭和にかけて教育政策や教育現場の実情を観察し、特にこのテスト制度の出現により、西洋式の教育システムによって輩出されている人材の人心やリーダー的素質(「大和魂」に代表される古来の日本でも見られたバランスの取れた調和ある人格)が劣化してしまったことを問題として挙げている。この教育のテストシステムによる弊害の歴史は西欧文明だけでなく、古くから中華文明でも見られた。そして小原らは強大な力を持っていた清国(中国)が荒廃し、欧米列強の植民地になった理由の一つとして科挙制度の行き過ぎにより、人材と人心が劣化してしまったことを指摘している。特に長年行われてきた科挙と呼ばれるテストシステムによって暗記力偏重に陥り過ぎ、記憶力だけが良い人材ばかりが登用されてしまい、物事を判断したり、対処する時に必要になってくる創造性など問題解決のための能力が低下し、国の中央が硬直化してしまっていた上、テスト至上主義の蔓延による競争原理によって「真」、「善」、「美」、「聖」を有する調和ある人格が失われカンニングをしてでも良い点を取ろうとしたり、人を蹴落とそうとする心が芽生えたりして人材その物の質が低下し、保身や不正などをする役人が増え、腐敗政治が蔓延したため、荒廃したと指摘している他、個性を無視したこうした一律的な能力比較による教育は、怠惰やいじめ、不平不満などを生み、人の心(人心)が歪んでしまう危険性があり、社会にとって害悪であることも指摘している。ちなみに井戸川辰三陸軍中将なども中国や朝鮮に関するレポートを書いているが、小原と似たような見解をしており、日本もそうなってはならないと警鐘を鳴らしていた。さらに海軍関係者を中心に行われた海軍反省会の中でも、当時の海軍兵学校の教育の問題が取り上げられており、学生時代のテストの点が出世に影響したため、テスト対策のための学習が中心だったという。しかも、成績優秀者の多くは自慢の記憶力を屈指し、テスト前夜に一夜漬けをして良い点を取って出世していたという事実やテストの点が優秀=優秀な人物に育つとは限らない事実、勉強法がテスト対策の山はりのため、テストが終わるとほとんど忘れてしまい、身にならなかったことなどの体験談が挙げられ、本当にあの教育のやり方で良かったのかと疑問として語られている上、同じく海軍反省会によると、太平洋戦争での日本軍の兵教育の問題が語られており、戦前の日本軍の兵教育は教科書の丸暗記を基本とする教育が中心であったため、日本軍の行動はアメリカ軍に簡単に予測されてしまったという。しかも日本軍の指揮官には創造性や個性がなく、いつも教科書通りの型に嵌った戦法を繰り返すことが多く、アメリカ軍のように一度失敗した戦法でも見直して対策を練ることはせず、日本軍は何度も同じことを繰り返し犠牲を増やしたとされる。 小原は、長年に渡って教育活動に携わってくる中での経験から、国家を導く人材を育てるためには創造教育が大切だと考え、江戸時代までの教育に見られたような個性を尊重する教育(機械的に全ての学生を一律に教育するやり方ではなく、学生を一人一人のことを考えた教育)の価値を見直し、欧米で新しく試みられるようになっていた新教育思想など、欧米の良い価値観も取り入れ、全人教育という教育理念を創始した。この全人教育を柱に、日本第一・世界第一の教育をする拠点を創ることで、日本文化、そして世界文化、世界平和の創成を計ろうと生涯を通じて教育に人生を捧げた。
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