さわやなぎ‐まさたろう〔さはやなぎまさタラウ〕【沢柳政太郎】
沢柳政太郎
澤柳政太郎
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澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(慶応元年4月23日) - 1927年(昭和2年)12月24日)は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。文部次官。東北帝国大学初代総長・京都帝国大学第5代総長・成城学園創立者・大正大学初代学長。子の一人に、美術史学者となった澤柳大五郎がいる。大学の自治をめぐり澤柳事件を引き起こし辞職した。
- ^ 小野健司 2003a.
- ^ 小野健司 2003b.
- ^ 『官報』第8324号、明治44年3月25日。
- ^ 『官報』第232号、大正2年5月10日。
- ^ なお、2014年に東北大学は、男女共同参画社会をめざす活発な取り組みの一助となるよう、アカデミアにおける男女共同参画の先駆として各分野で活躍し、多大な貢献をなした人々を選考し顕彰する制度として「澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞」(通称:澤柳記念賞)を創設している。
- ^ a b 株式会社新潮社. “第12回 私大蔑視に対抗する「民衆の早稲田」 | 「反東大」の思想史 | 連載 | 考える人 | シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社”. 考える人. 2020年3月14日閲覧。
- ^ 『官報』第7950号、明治42年12月22日。
- ^ 衆議院、参議院編 『議会制度百年史 : 貴族院・参議院議員名鑑』 大蔵省印刷局、1990年11月、ISBN 4171648114。
- ^ 「恒久的な組織として設立、理事長に井上準之助」『東京日日新聞』1926年4月7日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.384 毎日コミュニケーションズ 1994年)
- ^ 庄司和晃 1965, pp. 411–412.
- ^ 庄司和晃 1965, p. 412.
- ^ 成城学園初等学校社会科研究部編『澤柳政太郎物語』24頁、成城学園初等学校出版部、2007年。
- ^ 『朝日新聞』1924年10月21日付朝刊6面、同1925年12月1日付朝刊6面等
- ^ 『全人教育』239号33頁、玉川学園、1969年。
- ^ 『全人教育』273号37頁、玉川学園、1972年。
- ^ 『全人教育』249号45頁、玉川学園、1970年。
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第6181号「叙任及辞令」1904年2月12日。
- ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1927年12月28日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
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