レーマーと光速
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 06:20 UTC 版)
詳細は「レーマーによる光速の決定(英語版)」を参照 経度の決定は、地図学と航法において重要で現実的な問題である。スペインのフェリペ3世は、陸から見えない船の経度を決定する方法に賞を出し、ガリレオは木星の衛星の食の回数に基づいて時刻すなわち経度を確立する方法を提案した。これは本質的には宇宙時計として木星系を用いている。18世紀に正確な機械式時計が開発されるまで、この手法は大きく改善されることはなかった。ガリレオはこの手法をスペイン王に提案した(1616年 - 1617年)が、ガリレオが作成した時刻表が不正確であったことと、船において食の観測が困難であったことから実用的でないことが分かった。しかし、改良を加えたことでこの手法は陸地で機能するようになる。 コペンハーゲンでの研究の後、1671年にレーマーはジャン・ピカールに加わり、コペンハーゲン近く、ティコ・ブラーエのウラニボリ観測所がかつてあったヴェン島で木星の衛星であるイオの食を約140回観測した。この数か月後にパリでジョヴァンニ・カッシーニが同じ食を観測している。食の時間を比較することにより、パリとウラニボリの経度の差が算出された。 カッシーニは1666年から1668年まで木星の衛星を観測し、最初に有限の速度を持つ光に起因する測定における矛盾を発見した。1672年、レーマーはパリに行き、カッシーニの助手として木星の衛星の観測を続けた。レーマーはカッシーニの観測に独自のものを加え、地球が木星に近づくにつれて食(特にイオで)の間の時間が短くなり、遠ざかるにつれて長くなるのを観測した。カッシーニは1676年8月22日に科学アカデミーに発表した。 この2番目が等しくないのは光が衛星から到達するまでに時間がかかるためだと思われます。光は地球の軌道の半径に等しい距離を移動するのに約10-11分かかるようである。 奇妙にも、カッシーニはこの推論を放棄したようである。これをレーマーは1671年から1677年の間にピカールと自身により行われた観測の選ばれた数を用いて反論できない手法で支持するものとして採用し設定した。レーマーはフランス科学アカデミーで自身の結果を発表し、すぐに匿名の記者により短い論文Démonstration touchant le mouvement de la lumière trouvé par M. Roemer de l'Académie des sciencesにまとめられ、1676年12月7日Journal des sçavansに発表された。不運にも報告した人物が、おそらく自身の理解不足を隠すために不可解な言い回しに頼り、その過程でレーマーの推論はわかりにくくなった。レーマー自身では結果を発表しなかった。 レーマーの推論は以下の通りである。地球が点Lにあり、イオが点Dで木星の影から出現すると仮定する(図参照)。イオが数回周回(1回あたり42.5時間)したのち、地球は点Kにある。光が瞬時に伝播しない場合、Kに到達するのにかかる追加の時間(約3.5分)により観測される遅延が説明される。レーマーは食(CからDにかけて木星により影を落とされるイオ)と掩蔽(様々な角度で木星の後ろに隠されるイオ)との混同を避けるために、位置FとGから点Cにおける「没入」を観測した。下表において、8月7日含む1676年の観測は反対の点Hで行われたと考えられ、11月9日のパリ天文台で観測されたものは10分遅れていた。 1676年レーマーにより記録されたイオの食時間は正規化されている(正午からではなく、午前0時からの時間)。偶数行の値は元のデータから計算される。月日時間潮軌道の周回数平均(時)June 13 2:49:42 C 2,750,789s 18 42.45 May 13 22:56:11 C 4,747,719s 31 42.54 Aug 7 21:44:50 D 612,065s 4 42.50 Aug 14 23:45:55 D 764,718s 5 42.48 Aug 23 20:11:13 D 6,906,272s 45 42.63 Nov 9 17:35:45 D レーマーは試行錯誤により8年間の観測の間にイオの天体暦を計算する際の「光の遅延」を説明する方法を考え出した。彼は遅延を、木星に対する所与の地球の位置に対応する角度の割合としてΔt = 22·(α⁄180°)[分]と計算した。角度αが180°のとき、遅延は22分になり、これは光が地球の軌道の直径HEに等しい距離を通過するのに必要な時間と解釈することができる。(実際には木星は合であるEからは見えない)この解釈によりレーマーの観測の厳密結果を計算することが可能になる。地球が太陽を周回する速度に対する光の速さの比率、22分と比較した1年間をπで割った値との比率は 365·24·60⁄π·22 ≈ 7,600. となる。これに対して現在の値は約299,792 km s−1⁄29.8 km s−1 ≈ 10,100である。 レーマーのこの比を計算せず、光速の値も与えなかったが、他の多くの人々がデータから速度を計算した。最初に行ったのはクリスティアーン・ホイヘンスである。彼はレーマーと通じ多くのデータを引き出した後、光が1秒で地球の直径の16 2⁄3倍の距離を移動したと推定した。これは約212,000 km/sである。 レーマーの光の速度は有限であるという考えは、1727年にジェームズ・ブラッドリーによりいわゆる光行差の測定が行われるまで完全には受け入れられなかった。 1809年、天文学者のジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルは再びイオの観測を使用したが、今回は100年以上経てずっと正確になった観測の恩恵を受けて光が太陽から地球まで進む時間を8分12秒と報告した。天文単位に想定される値によるが、これは毎秒30万キロメートルを少し超える程度になる。現在の値は8分19秒であり、速度は299,792.458 km/sである。 このデンマークの天文学者が偶然働いていたパリ天文台にある銘板は、実際にこの惑星で行われた普遍的な量の最初の測定であったことを記念している。
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