レームの処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:46 UTC 版)
6月30日が終わっても突撃隊幕僚長レームはいまだミュンヘンのシュターデルハイム刑務所に投獄されたまま生かされていた。アドルフ・ヒトラーが唯一お互いに「お前(Du)」と呼びあう仲の同志であるレームの処刑に最後のためらいをしていたためだった。しかし7月1日正午前にはヒトラーもゲーリングとヒムラーの説得に折れ、ついにレームの処刑を決意した。ダッハウ強制収容所所長テオドール・アイケに連絡し、レームに一度自決の機会を与えたうえで処刑するようにと命じた。 午後3時頃、アイケは部下のダッハウ副所長ミヒャエル・リッペルトを引き連れて、シュターデルハイム刑務所のレームの独房を訪れた。アイケは「貴方は死刑に処される。総統は最終決断のための機会を貴方に与えた」と宣告し、「レーム逮捕」を報じるナチ党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』紙と自決用の一発だけ弾の入った拳銃を置いたが、レームは「俺を殺すというなら、アドルフ自らがやるべきだ」と反論した。二人は独房を後にしたもののいつまでも銃声がしないため、アイケ達は再度レームの独房に戻った。アイケはリッペルトにレームを撃つよう命じ、リッペルトがレームに向けて2発発砲した。倒れ込んでなお息があったので、もう1発胸に撃ち込んで殺害した(とどめを刺したのがアイケかリッペルトかどちらであるかは不明)。
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