ライネッケとは? わかりやすく解説

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ライネッケ

【英】:Reinecke, Carl Heinrich Carsten
[ドイツ]  1824~1910

2011年5月 執筆者: 上田 泰史 

ライネッケは1824年北ドイツ都市アルトナ(現ハンブルク当時デンマーク領)に生まれた。父は当時名前のよく知られ音楽理論家で、この父の指導下で着実に音楽素養を身につけ7歳ときには作曲手掛けるようになった10代半ばフーガ付きピアノ曲作品1を出版しているところをみると、このときまでに彼は基礎的な作曲技術一通り修得していたと思われる演奏進歩著しく11歳ときにはピアニストとして知られるようになったという。1843年3月18歳のときに故郷離れライプツィヒ北ドイツリューベックデンマーク主都コペンハーゲン訪れて演奏したその後ライプツィヒに戻ると、数年間ここにとどまり最後の「学習時代」を過ごす。J. S. バッハ後半生過ごしたこのライプツィヒでは早くから公開演奏会伝統根付いており、1781年設立されゲヴァントハウスコンサートホールオーケストラ市民音楽家豊かな文化的土壌もたらしていた。

2009年2月 執筆者: PTNA編集部

 ドイツ作曲家教育者音楽教師をしていた父親から徹底的に音楽教育施された。1845年以後ヨーロッパ各地演奏家として活躍1851年から、ケルン音楽教育関わり複数団体音楽監督などを兼務して次第名声高めた1861年ライプツィヒ音楽院ピアノ科・作曲科教授任命され97年からは院長となり、各種改善行なって同音楽院の黄金期現出したまた、ケヴァントハウス管弦楽団指揮者として、団員訓練にあたり演奏レベルを向上させた。厳格な姿勢多く仕事臨んだ反面穏健な人柄でもあったようで、同時代音楽家から多大な尊敬集めた。ライネッケに献呈された音楽作品数多い
 自身の作品としては、作品番号付されたもののみで288数え初級者向けソナチネから、ピアノ協奏曲まで、多くピアノ作品含まれている。
 多才な人物であり、詩作絵画著作でも高い評価得ている。あまりに膨大な仕事ぶり災いしてか、演奏研究焦点が当たる機会は、この人物の影響力鑑みて十分とは言い難い

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽

管弦楽ピアノ


ライネッケ

名前 Reinecke

ライネッケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 07:37 UTC 版)

ライネッケ低地ドイツ語: Reinecke)は、ドイツ語圏の姓。




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