ヒューレット・パッカード(NYSE:HPQ)
住所: | 3000 Hanover StreetPalo Alto, CA 94304United States |
電話: | 1- (650) 857-1501 |
FAX: | 1- (650) 857-5518 |
ウェブサイト: | http://www.hp.com |
業種: | テクノロジー |
業界: | コンピューター(周辺機器) |
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Hewlett-Packard
別名:Hewlett-Packard Company,HP
Hewlett Packardとは、米国カリフォルニア州パロアルトに本社を置き、世界170カ国以上の国で事業を展開し、主にパソコンやサーバー、プリンターなどのコンピュータ製品を提供している、米国のITベンダーである。
Hewlett-Packardは、1939年に、スタンフォード大学の同級生だったウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードによって設立された。当初は電子計測機器が製品の中心であったが、1966年には、コンピュータ事業にも参入し、1980年代にはミニコンピュータから携帯型パソコンを揃えるコンピュータメーカーになるとともに、従来からの得意分野である電子計測機器や医療用電子機器との連携に強みを発揮した。
本社エントランス
Hewlett-Packardが1980年にパソコン事業に参入し、1990年代にはハンドヘルドPCを発表、ブランドとして多く認知されるようになった。さらに2002年5月、当時、PCベンダー最大手であったCompaqを吸収合併し、事業を大きく飛躍させた。
Compaqは、1982年に設立され低価格なIBM PC/AT互換機を提供する販売戦略を展開、1987年にはIBMに先立ってIntelのマイクロプロセッサ「Intel 80386」を搭載したパソコンを発売し、注目を浴びていた。1990年代にはパソコンのコモディティ化の先陣を切り、Hewlett-Packardに吸収合併されるまで、世界でもトップクラスのパソコンベンダーの地位にあった。Compaqを統合したHewlett-Packardは、その後、パソコンの売り上げで世界のトップ企業となった。なお、2008年7月現在も、「Compaq」の名称はパソコンのブランド名として存続している。
Hewlett-Packardは、1990年代後半からはパソコン事業と並行して、パソコン用プリンタの開発にも積極的に取り組み、こちらも世界的なトップブランドとなっている。また、ワークステーションやPDAの開発も積極的に行っている。
Hewlett-Packardは、国内では、日本法人の日本ヒューレット・パッカード株式会社がビジネスを行っている。
※画像提供 / 日本ヒューレット・パッカード株式会社
参照リンク
Hewlett-Packard
日本ヒューレットパッカード
海外企業・団体: | FIDOアライアンス G.729コンソーシアム Gaikai Hewlett-Packard HTC ハイアール ビッグブルー |
ヒューレット・パッカード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 02:39 UTC 版)
ヒューレット・パッカード(英: Hewlett-Packard Company)は、コンピューターと電子計測機器の製造、販売を営んでいたアメリカ合衆国の企業である。hp(エイチピー)の略称で呼ばれることが多い。本項でもhpと記す部分がある。
注釈
出典
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>80P>Consolidated Balance Sheets>Total stockholders’ equity
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>38P>ITEM 6. Selected Financial Data.>Net revenue
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>38P>ITEM 6. Selected Financial Data.>Earnings from operations
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>38P>ITEM 6. Selected Financial Data.>Net earnings
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>38P>ITEM 6. Selected Financial Data.>Total assets
- ^ Hewlett-Packard>Investor Relations>Latest Annual Report and Proxy>2012 Annual Report>15P>Employees
- ^ 「IT企業は青いロゴばかりなので、緑色にしました」――米HPが分社化、“Hewlett Packard Enterprise”始動 ITmedia、2015年11月2日
- ^ HPのカッコよすぎる新ロゴ 実は一度ボツになっていた? ITmedia、2016年4月10日
- 1 ヒューレット・パッカードとは
- 2 ヒューレット・パッカードの概要
- 3 概要
- 4 歴代CEO
- 5 脚注
ヒューレット・パッカード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:53 UTC 版)
「ファンタジア (映画)」の記事における「ヒューレット・パッカード」の解説
同社の最初期の製品であるオーディオ発振器「HP 200B」を、ディズニーが本作の音響システムの開発およびテスト用として8台購入した。同社にとってディズニーは最初の主要な顧客となった。
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ヒューレット・パッカード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 21:31 UTC 版)
「カール・サセンラス」の記事における「ヒューレット・パッカード」の解説
大学最後の年、サセンラスはヒューレット・パッカードのコンピュータシステム部門で HP 3000 用のOSである Multi-Programming Executive (MPE) のファイルシステム設計グループの一員として働いた。そこで彼は Outqueue という制御言語のコンパイラの実装を行った。翌年には MPE-IV OS のカーネルチームの一員となり、その後 HPE カーネルグループに参加した。 この頃、サセンラスは当時のOSの大変な複雑さを低減させることに興味を持ち、マイクロカーネルの概念に独自にたどり着いた。彼はそれをHPに提案したが、会社側は無関心だった。 1981年末から1982年初めにかけて、サセンラスは休暇を取り、アメリカ国立科学財団の大気物理研究に参加し、アムンゼン・スコット基地を訪れた。休暇から戻ると、会社との新たな合意に達し、分散コンピューティングにおけるGUIとPRCなどの独自研究を進めることになった。 1982年後半、パロアルト研究所とMITメディアラボの発表した新技術に触発され、サセンラスはマウスを使った現代的なウィンドウベースのGUIを開発する社内プロジェクトを立ち上げた。この Probus プロジェクトは当時スタンフォード大学にいたアンディ・ベクトルシャイムから借用したサン・マイクロシステムズのワークステーション(プロトタイプ)上で開発を行った。Probus にはハイパーリンクや初期の分散コンピューティングの概念が生かされており、デモ動作までこぎつけ、GUIの威力を示すことができた。 また、サセンラスはHP社内の各種言語プロジェクト(Ada、Pascal、Smalltalk、LISP、Forth、SPL、その他)にも参加し、影響を受けた。
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固有名詞の分類
アメリカ合衆国の企業 | Taurus Entertainment Comp First BanCorp. ヒューレット・パッカード Gladstone Capital Corpora FIND/SVP, Inc. |
カリフォルニア州の企業 | トランスメタ モンスターケーブル ヒューレット・パッカード THX ザンボニー |
コンピュータ企業 | PFU トランスメタ ヒューレット・パッカード 日本アイ・ビー・エム 日立製作所 |
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