ディーゼルカー
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ディーゼルカー (diesel car) は、ディーゼルエンジンを動力源として走行する車両のこと。
- 1 ディーゼルカーとは
- 2 ディーゼルカーの概要
ディーゼルカー(ガンツ時代)
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「ガンツ (企業)」の記事における「ディーゼルカー(ガンツ時代)」の解説
ハンガリー国鉄BCmot型 ハンガリー国鉄BCymot型 ハンガリー国鉄 "Hargita"(この車両はチェコスロバキアや東ドイツ(ドイツ国営鉄道)にも輸出された。東ドイツ向けの3編成はドイツ国鉄VT12.14型 (DR-Baureihe VT 12.14) になった) アルゼンチン向け連接車
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ディーゼルカー
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ディーゼルエンジンは、1894年の開発以来、1910年代まで大型船舶用などの低速大型機関しか存在しなかったが、その後、第一次世界大戦中から戦後期の技術改良により、鉄道車両に搭載しうる中型 - 小型の、中速・高速ディーゼルエンジンが実用化された。ガソリンエンジンよりも経済性や安全性で有利なことから、1920年代以降ドイツなどを中心に機関車や気動車用に普及した。 日本では1928年に雨宮製作所がドイツのMAN製船舶用エンジンを搭載して製造した長岡鉄道キロ1形が最初の「ディーゼルカー」とされる。しかし、当時の地方鉄道の技術力ではディーゼルエンジンを整備・維持しきれず、しかも駆動システムも機関出力を一旦変速機で変速した後、前後のボギー式台車の内側軸にユニバーサルジョイントで動力を分配伝達する複雑な2軸駆動システムであったことから、運用に難渋し、ほどなく一般的な構造のガソリンカーに改造されてしまっている。 当時、ガソリンエンジンは既に自動車用として普及しており、気動車にも自動車用のエンジンを流用した例が多かったこともあって、地方私鉄の検修現場における技術水準でも維持できた。しかし、ディーゼルエンジンは燃料噴射系統を中心に高度な精密機構を有し、維持管理にはガソリンエンジンよりも高い技術力を要求された。 また気動車に使用されるディーゼルエンジン自体も、1930年代前半にはMAN、ダイムラー・ベンツ、ユンカース(以上ドイツ製)、サウラー(スイス製)など少量輸入品ばかりで、エンジンも部品も高価なものであった。 長岡鉄道以後も、江若鉄道などカタログデータのみによる燃料費用節減効果に惹かれてディーゼルカー導入を試みた私鉄はいくつかあったが、その多くが燃料噴射ポンプの噴射量調整困難をはじめとする取り扱いの難しさや、少量輸入に頼らざるを得ない補修用部品の供給問題などに阻まれ、試作車を1 - 2両導入しただけで挫折している。 それでも相模鉄道(初代)、神中鉄道、加越鉄道、北九州鉄道などはディーゼルカーを一般営業運転で安定して使用するようになっていた。特に神中鉄道が1936年から1940年にかけて、国産ディーゼルエンジン(池貝鉄工所・日立製作所製)搭載のディーゼルカーを11両も導入し、実用水準に到達していたことは特筆される。 また日本の資本・技術で運営されていた南満州鉄道は、日本車輌製造に発注して電気式のディーゼル列車「ジテ1形」を1934年に新製し、一般旅客列車に投入して運用実績を収めている。同社はさらに1937年 - 1938年にかけ、ドイツやイギリスの技術を導入して流体継手やトルクコンバータを変速機に用い、ドイツの大型気動車並みにエンジンを台車装架としたディーゼルカーを日本車輌で試作、試験したが、こちらは当時の時点では普及までには至っていない。 国鉄も1935年 - 1937年にかけてディーゼルカー(キハ42500形)を試作したが、実用水準には至らなかった。しかしその過程で、1935年には新潟鐵工所、池貝製作所、三菱重工の3社に150 PS級ディーゼルエンジンを競作させており、それらの試験結果を基にして1942年には気動車用150 PS級標準型ディーゼルエンジンの基本設計を完了している。戦後このエンジンは「DMH17」の呼称を与えられて制式化され、シリンダ数を8気筒から6気筒にスケールダウンした姉妹機種のDMF13と共に、国鉄の気動車用制式エンジンとして地方鉄道を含め日本全国に広く普及した。 だが1930年代後半以降、社会全体が戦時体制へと突入したことで、実用車としてのディーゼルカーの発展はここで10年以上の長い停滞の時代を迎えることになる。
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