タクリー号
双輪商会の社長吉田信太郎が、自転車の仕入れに1902年に渡米した際に、第3回のニューヨークのモーターショウを見学し、いずれは日本にも自動車時代が来るとして、ガソリン・エンジンやトランスミッションおよび前後車軸などの部品を購入して帰国する。 そして先ず手始めに オートバイと3輪乗用車の輸入販売のためにオートモビル商会を設立し、自動車の修理も始める。 一方、内山駒之助はウラジオストックで機械技術を学び、自動車の運転や修理の技を磨き、吉田信太郎の自動車修理の現場を見て協力することになる。 製作第1号車は上記部品を使い、1902年に完成、第2号車は車体をバス用に設計し、広島で使われている。 有栖川宮家のダラックを手本に製作した乗用車は人気をあびて、都合10台が作られ、ガタクリ走る所からタクリー号の愛称で呼ばれた。 ※上の写真は、タクリー号のうち『有栖川宮家に納入された』1号車。右の写真は、タクリー号4号車である。 |
保管場所 | : | トヨタ博物館 (〒480-1131 愛知県愛知郡長久手町大字長湫字横道41番100号) |
製作(製造)年 | : | 1907 |
製作者(社) | : | オートモビール商会,内山駒之助 |
資料の種類 | : | 模型・文献 |
現状 | : | 展示(静態)・公開 |
車名 / 製作 |
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型式 / 重量 |
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車体 / 寸法 |
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車体 / 車軸 / 操縦 / 付属 |
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機関 / 寸法 / 出力 |
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ハイブリッド |
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駆動系 |
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性能 |
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参考文献 | : | トヨタ博物館紀要No.4(1998年)、三栄書房、国産自動車100年の軌跡(1978年) |
その他事項 | : | シャシー重量:約600kg;前照灯:アセチレン灯;ワイパー:なし;ウォッシャ:なし;足ブレーキ:外締めハンド式、後2輪;手ブレーキ:トランスミッションにバンド式;比出力:6.50HP/L;最終減速:デイファレンシャル付;最高速度:16km/h; |
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