ジョブズの復帰
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1997年2月に正式にNeXT買収が成立し、アメリオの要請もありジョブズはAppleに非常勤顧問という形で復帰した(同時に、NeXTのセールス担当副社長ミッチ・マンディッチ、技術担当副社長アビー・テバニアンが重役としてAppleに加わる)。このとき、アメリオからプレゼントされた20周年記念Macintosh(Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂がまことしやかに囁かれた(ちなみにウォズにもこの記念すべきMacintoshがプレゼントされた)。 Appleに復帰したジョブズは、同年6月には一度はAppleの先行きを悲観し株式を手放したが、経営混乱の責任を取るよう取締役を巻き込み、アメリオを追いつめる。同年7月9日にアメリオとハンコックが辞任に追い込まれたあとは、執行副社長兼CFOのフレッド・D・アンダーソンが短期間を暫定的に経営を行い、その間にジョブズは復権していった。アメリオの辞任にともない、取締役会はジョブズにCEO就任を要請したが、ピクサーCEOとして多忙であることを理由に彼はこれを拒否して「責任がそれほど大きくない一時的なことであれば構わない」と言い、1997年9月には暫定CEOに就任した。 一方、アメリオによるリストラは、このころようやく成果を上げ始めていた。膨れ上がった研究開発費や一般管理費は大鉈をふるわれ、経費4億ドルと従業員4,100人が削減されていた。複雑になっていたMacのラインナップもPerformaを止めるなどで整理されつつあった。低迷を続けていたNewton事業を別会社に分離し、Apple本体はMacintoshに集中できるようになった。ジョブズが暫定CEOになった時点での赤字は10億4000万ドルで、大胆な業務縮小やリストラなどを強行しなければ、一時はあと90日で倒産という間際であった。(当時は約10,200名の従業員で、売り上げ年間71億ドル) ジョブズは、その思惑通りに事を進めていくなかで、士気を上げるため従業員のストックオプションの引き下げを取締役会に提案した。しかし、取締役会がこれを否定すると、ジョブズは取締役全員に辞任を迫った。結局、マイク・マークラを含む取締役陣は、そのほとんどが辞任することとなる。代わりに、オラクルのラリー・エリソン、インテュイットのビル・キャンベルらを社外取締役に迎え入れ、取締役会はほぼジョブズ寄りのメンバーに再構成された。 これに前後し、CFOのフレッド・D・アンダーソンを除いて、1997年中にCEOやCTO以外にも、ATG閉鎖やイメージング部門などの事業整理とともに、多数の幹部がAppleから離職した。 COO兼セールス担当EVPのマルコ・ランディ、COOのジョージ・スカリス、マーケティング担当SVPのサジーブ・チャヒル、マーケティング担当SVPのゲリーノ・デ・ルーカ、ソフトウェア担当SVPのアイク・ナッシ、デベロッパーリレーションズ担当VPハイディー・ローゼン、セールス担当SVPのジョン・フロイサンド、Power Macintosh担当SVPフレッド・フォーサイス、チーフエヴァンジャリスト/Appleフェローのガイ・カワサキ、ATG担当VPのドナルド・ノーマン、ATG解散後のテクノロジーグループで短期間のVPだったリチャード・ルファーブル、研究開発担当VP兼チーフサイエンティストのラリー・テスラーなど。 ジョブズは同年8月、マイクロソフトと特許のクロスライセンスおよび業務提携を結んだ(アメリオがビル・ゲイツと長らく交渉してきた中で頓挫した内容であった)。AppleはNetscape Navigatorに代わりInternet Explorerを標準ウェブブラウザとしてバンドルすることと引き換えに、マイクロソフトはMicrosoft OfficeをMacintosh用により一層最適化させ、さらにMacintosh版とウィンドウズ版を同時リリースするということである。さらにマイクロソフトはAppleに対し1億5000万ドルの出資(議決権のない株式を発行)を行った。そしてボストンで行われた1997年のMacworld Conference & Expoでは、ジョブズの基調講演の最中にゲイツがスクリーン中に登場し、それらの提携を発表することとなる。歴史的和解とも取れるこのコンピュータ業界の大物同士の両者の演出は、発表された提携内容よりも話題性の方が大きく報道され、関心の深い者にはよくも悪くも波紋を呼ぶ結果となった。 1997年9月にリリースされた「Mac OS 8」は久々の大ヒットとなり、Macユーザーの間に広く受け入れられた。Coplandプロジェクトやその次のGershwinのコンセプトさえも遥かにしのぐNeXTのOS技術を手に入れたことで、Mac OSの漸進的改良を進めるという開発方針が順調に進み、1998年にはMac OS 8.1をはさんでMac OS 8.5、1999年にはMac OS 8.6、Mac OS 9と、メジャーアップデートとマイナーアップデートが交互に半年ごとにリリースされた。これらはアメリオ/ハンコックによるプランをジョブズ/テバニアンが踏襲したものである。 かねてから開発が進んでいたPowerPCの新たな製品としては、低価格ながら従来のハイエンドチップを上回る性能を持つPowerPC G3を発表。モトローラとIBM、Appleの共同開発で進められたこの次世代チップは、新たなMacに搭載され、Power Macintosh G3として発売される。またG3の発表と並行して「赤字の元凶で共食い競争でしかない」とされたMacintosh互換機メーカへのMac OSライセンスを順次停止していくことも決定した。そのうちの1社であるパワーコンピューティング社を買収し、Apple自身がオンライン直販を行うことを決める。これがのちにApple Online Storeとして展開していくこととなる。 1997年11月には、分離されたNewton事業をAppleに戻す形で清算した。同じころ、Appleは“Think different” キャンペーンを大々的に開始する。この“Think different.”では各界の偉人・著名人をCMに起用し、Apple自身のイメージ転換戦略が計られた。 1998年、PowerBook G3を発表。複雑な曲線を多用した斬新なデザインは従来のPowerBookと一線を画すものであり、ジョブズの製品に対する美意識が現れた初めての製品としてMacユーザーの関心を呼んだ。同時期にAppleのソフトウェア部門の別子会社であったクラリスをファイルメーカー社と改名し、FileMakerの開発・販売に専念させ、クラリスワークスに代表されるその他のアプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す決定もなされる。 2000年1月、ジョブズが復帰し業績を挙げた結果、2年半でAppleの市場価値が20億ドルから160億ドルへ急上昇した功績で、ジョブズには1000万株のストックオプションとビジネスジェット機ガルフストリームVの提供がAppleの取締役会により決定された。
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ジョブズの復帰
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1991年10月、AppleとIBMは提携関係を結び、Wintelに対抗する標準プラットフォームの創造を目的とした連合(AIM連合)を結成していた。そして1994年、この提携の成果として生まれた「PowerPC」プロセッサを搭載する「Power Macintosh」が発売された。1996年2月初旬、スピンドラーが辞任し、ギル・アメリオが後任としてAppleのCEOに就任した。会社再建人としての評判を買われてナショナル・セミコンダクターから引き抜かれたアメリオは、大胆なレイオフとコスト削減策を実行した。TaligentやCoplandで次世代OSの開発に幾度となく失敗していたAppleは、最終的にはOSを外部から調達する必要に迫られ、ジョブズが立ち上げたNeXTを1997年に買収することで同社の「NeXTSTEP」を獲得し、その結果ジョブズはAppleに復帰した。アナリストのベン・トンプソン(英語版)によれば、ジョブズが復帰した時点でAppleは倒産寸前の状況であったであったという。
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