提携内容(6ヶ条)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 00:35 UTC 版)
一、戦ひと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事 一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事 一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事 一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事 一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事 一、冤罪も御免の上は双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可しとの事 薩長同盟が結ばれた会談の内容はその場で記録されず、正式な盟約書も残されていない。上記の内容は木戸が記憶を頼りに会談の内容を6カ条にまとめ、内容の確認のため坂本に送付した書簡(慶応2年1月23日付)によるものである。 坂本はこれに応じ、上記の木戸書簡の裏面に「表に御記成被候六条は小西両氏及老兄龍等も御同席にて談論せし所にて毛も相違これ無き候、後来といへとも決して変り候事はこれ無きは神明の知る所に御座候」と朱書して返信(2月5日付)している。 上記の各条の具体的な内容は、主に第二次長州征伐に際し、薩摩が長州に対し物心両面の援助を約するものである。第一条では長州で戦争が始まった場合に薩摩が京都・大坂に出兵して幕府に圧力を加えること、第二条~第四条で戦争の帰趨如何に関わらず薩摩が長州の政治的復権のために朝廷工作を行うことを、それぞれ約束している。第五条では、薩摩が第一条により畿内に出兵して圧力を加えた上でも、橋会桑(一会桑政権)が朝廷を牛耳ったうえで薩摩側の要求を拒むようであれば、彼らとの軍事的対決に至る覚悟があることを長州に対し表明する内容となっている。 現在、この書簡は宮内庁に所蔵されている。
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