イラン皇帝とアメリカ合衆国とは? わかりやすく解説

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イラン皇帝とアメリカ合衆国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 20:15 UTC 版)

イランの歴史」の記事における「イラン皇帝とアメリカ合衆国」の解説

アルノー・ド=ボルシュグラーヴは言う。 「米国諸政は、1953年CIA主導によるモハンマド・モサッデグ政権打倒短期間ローマ亡命中のモハンマド・レザー・シャー復権事件始まり1978年シャー裏切るまで、イランへの直接内政干渉行った。」 占領後当初立憲君主制国家となる望みがあった。若い新皇帝(シャー)、モハンマド・レザーは議会大きな権力委ね君臨するに留まっていのである数回選挙流動的な状況下でおこなわれたが、これは多く選挙違反の伴うものであった議会慢性的な不安定状態に陥り、1947年から1951年まで6人もの首相入れ替わり政権を担うこととなったのである1951年民族主義者モハンマド・モサッデグ英国所有する石油会社国有化主張して議会によって首相に選ばれた。これがアーバーダーン危機始まりである。英国経済制裁などによる圧力イラン多大な困難をもたらしたが、国有化政策続行された。1952年モサッデグ辞任強制されたが、選挙での圧勝により再選ひるがえってシャー亡命余儀なくさせた。モサッデグ共和国宣言するが、数日後8月19日アジャックス作戦(英: TPAJAX Project)として知られるCIA合衆国政府策謀によってシャー帰国して復位モサッデグは職を追われ逮捕され新任首相シャーによって任命された。 シャーはこの事件における米国支持への見返りとして、1954年、英40%、米40%、仏6%、14%の割合イラン石利権分割する国際コンソーシアム操業今後25年わたって認め契約調印した。つまり石油支配権も完全な利益イランにはもたらされないことになったのである1950年代末から1960年代には安定回復した1957年には16年にわたる戒厳令解除されイランバグダード条約加盟し米国から軍事援助経済援助受けて西側陣営にさらに接近する政府近代化政策広範に実施、特に準封建的な土地制度改革したしかしながら改革により経済状態劇的な改善はなく、自由主義的西欧政策イスラーム的な宗教集団政治集団政権から遠ざけてゆく結果となる。1960年代半ば以降モジャーヘディーネ・ハルクMEK)などの組織出現ともなって政情不安定化してゆく。1961年シャー白色革命として有名な一連の経済社会行政改革開始した政策核心農地改革にあった近代化経済成長空前勢いで進行世界第3位膨大な石油埋蔵量がこれを後押しした1965年首相ハサン・アリー・マンスールの暗殺事件以降国家情報全機関 (イラン)(SAVAK)の活動活発化。この時期13,000人から13,500人にのぼる人々がSAVAKによって殺害され数千人が逮捕拷問されたと見積もられている。ルーホッラー・ホメイニー1964年追放)の指導するイスラーム勢力反対活動大々的繰り広げるようになった国際関係において1937年協定イラク帰属するとされたシャッタルアラブ川水路領有権をめぐる争いイラクとの関係急速に悪化している。1969年4月中の数回衝突ののちイラン協定破棄再交渉要求イラン防衛費多大な予算をつぎ込み1970年代初頭までには域内第一軍事大国となっていた。これを背景1971年11月イラン軍ペルシア湾口の3島を占領イラク報復として数千人のイラン人追放した。この問題1975年3月6日アルジェ合意でようやく解決している。 1973年半ばシャー石油工業へのイラン管理権回復した1973年10月第四次中東戦争にあたっては、西側およびイスラエル対す石油禁輸措置には加わらず原油価格上昇好機とらえて莫大な石油収入得て、これを近代化国防費回した1970年代初めモジャーヘディーネ・ハルク体制弱体化外国影響力排除目的に、軍の契約にかかわるテヘラン駐在米軍人、民間人殺害事件起こしている。 白色革命以降経済成長による利益は、しかしながら非常に小さな集団集中し大多数人々恩恵もたらされることはなかった。1970年代後半にはいると、宗教勢力率いられ広範囲反対運動が起こる。いまやシャー統治への政治的宗教的反感、特にSAVAKへの嫌悪高まっていた。1978年9月戒厳令全国主要都市布告された(黒い金曜日参照)が、シャー権力基盤崩壊認識。翌1979年1月16日シャーイランから亡命し帝政崩壊した

※この「イラン皇帝とアメリカ合衆国」の解説は、「イランの歴史」の解説の一部です。
「イラン皇帝とアメリカ合衆国」を含む「イランの歴史」の記事については、「イランの歴史」の概要を参照ください。

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