アイグン条約とは? わかりやすく解説

アイグン条約

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アイグン条約璦琿条約: Айгунский договор)は、ロシア帝国と中国の清帝国が、1858年5月28日中国東北部アムール川中流のアイグン(現黒竜江省黒河市)において結んだ条約




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アイグン条約

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ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー」の記事における「アイグン条約」の解説

日本との修好成し遂げたエフィム・プチャーチン1857年同じく清との全権委員任命されたが、これはムラヴィヨフ反発招き、彼はもう少しのところで総督職を辞するところであった皇帝慰留された。彼は引き続き清との硬軟あわせた交渉臨んだ1858年最後の探検では、ムラヴィヨフ全権委員として太平天国の乱アロー戦争疲弊した清との間にアイグン条約を締結しアムール川左岸手に入れた清国全権委員黒龍江将軍・奕山(中国語版英語版)をはじめとする清の役人たちは当初アムール川どのような種類境界線設置することを拒み、これらの地域ロシアと清の事実上共同管理のもとにある現状追認維持しようとした。しかし、ムラヴィヨフは清の役人たちに対しロシア意図中国助けイギリス侵略を防ぐことにあり、平和的建設的なのである説きつつ武力による威嚇行い、ついに説得することに成功した。 アイグン条約はアムール川清とロシア国境であるとし、ロシアアムール通じた太平洋へアクセス保障した。この結果ムラヴィヨフは「アムールスキー伯爵アムール川伯爵)」の称号得た条約調印祝って北京での大々的イルミネーションシベリアの諸都市での祭典が行われた。ロシア得た領土満洲のうちアムール左岸一帯(「外満州」)で、プリアムーリエ(沿アムール現在のアムール州)、および現在のハバロフスク地方大部分を含むものだった1860年北京条約によってアイグン条約は確認されたうえ、さらに多く領土ウスリー地方、および旧沿海州南部)がロシア領として認められた。 一方でサハリンに関して早くからこの地への入植交易進めていた日本との衝突予想された。1859年8月18日ムラヴィヨフ=アムールスキーは、自らコルベットアメリカ」をはじめとする軍艦7隻を率いて日本に来航江戸湾品川停泊した。彼は軍事力による威嚇背景に、サハリン全土ロシア領と主張したが、1859年安政6年7月26日虎ノ門天徳寺における会談席上江戸幕府外国事務遠藤胤統酒井忠毘通してこれを完全に退けている。またこの航海で後に沿海州となる日本海沿岸調査が行われ、ナホトカ湾などの港湾適地発見された。 東シベリア総督としてムラヴィヨフ=アムールスキーアムール川沿岸への植民進めようとした。これらの試みは、自発的にアムール川流域移住しようとする人が少なかったためほとんどが失敗終わったムラヴィヨフアムール流域人口増やすため、バイカル湖東部コサックバイカル・コサック)の軍管区からいくつかの部隊を移さざるを得なかった。また、アムール川蒸気船運送組織化して郵便航路作ろうという試み失敗終わっている。 アムール左岸奪取対す首都ペテルブルク官僚たちによる反対理由主なものは、新領土を守る住民兵士不足しているということだった。このためムラヴィヨフ=アムールスキーネルチンスク農民課せられていた鉱山労働免除するという請願行い認められた。これら自由になったネルチンスク農民バイカルから来たコサック合わせ12,000人のアムール・コサック編成され各地入植した。こうして、アムール左岸防衛コサックとなったムラヴィヨフ=アムールスキー東シベリア二つ地区分割する提案行った拒否され1861年総督職を辞したムラヴィヨフ周囲に集まる政治犯らが英米などと組んでシベリアでの蜂起独立行いかねないこと、ムラヴィヨフ自身こうした政治犯米国人などに親し自由主義者であることも、彼が慰留されなかった原因にある。彼は国家評議会参議院)の委員となった1868年、彼はパリに移住し、時々サンクトペテルブルクでの国家評議会出席する以外は、1881年死去するまでパリ暮らした

※この「アイグン条約」の解説は、「ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー」の解説の一部です。
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