『下官集』の仮名遣いとは? わかりやすく解説

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『下官集』の仮名遣い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/31 00:07 UTC 版)

定家仮名遣」の記事における「『下官集』の仮名遣い」の解説

下官集』の中にある「嫌文字事」(文字を嫌ふ事)では60ほどの語例出して仮名遣い定めているが、その語例前には以下の前置きがある。原文漢字文なので、漢字平仮名交じりの文にして引用する。「文字を嫌ふ」とは仮名綴る上で文字選択すること、要する仮名遣い定めることをいう。 他人は惣じて(総じて然らず。又先達強ひ此の事無し。只(ただ)愚意分別極めた僻事ひがごと)なり。親疎老少一人同心の人無し。尤も道理と謂ふべし。況や亦(また)、当世の人の書く所の文字狼藉古人の用ゐ来たれる所を過ぎたり心中これを恨む。 この文の大意要約すれば、以下のようである。 「仮名遣いについて、ほかの人は総じて気にすることがない。また先人たちもこのことについて、特に言及したことはなかった。以下に自分定め仮名遣いは、人から見ればただの独りよがりくだらないたわごとである。親しい者だろうと疎い者だろうと、また老い若きも、これを見て自分と意を同じくする人は誰もいないだろう。まことにそれは道理というべきである。ましてその上今の世の人が書くところの仮名遣いのでたらめさは、古人用いてきたところをはるかに超えている。この現状を、心の中恨んでいる」 このなかで定家は、仮名遣い定めることについては誰の考えにも拠らず自分が全く新しく始めることだとしている。これは仮名遣いの例をあげたその最後にも、 右の事は師説非ず。只愚意より発す。旧き草子見て、これを了見す。 と記しており、「右に定めた仮名遣いは、自分師匠とする人から受けた説ではない。ただ自分勝手な創意でしたことであり、古い時代草子見て判断したということで、やはりこの仮名遣い自分考えいたものであり、古くからの伝え教えに基づくものではないことを強調している。 『下官集』の内容和歌仮名綴り方写本作り用いる際の決まり等について記したものであり、それらは幼童に文字綴り方教えるなどといった類いのものではない。定家朝廷仕え公家であるとともに和歌を業とする家すなわち歌詠みの家としても名を上げていた。それは単に和歌詠むだけではなく当時すでに古典とされた『古今和歌集』や『伊勢物語』といった文学作品書き写し、またその本文の解釈を「説」と称して子孫伝えることも重要事としていたのである。『下官集』の仮名遣いとは、それら写本作るうえで本文校訂し解釈定めるためのものであった。つまり自分以外の人間自分写した本を見て読みづらかったり理解しづらいことがないように本文表記決まり設けてこうというのが、定家仮名遣い定めた目的だったのである定家のいう「文字狼藉」とは、歌詠みにとって重要なのであるはずの三代集はじめとする歌書類の本文について、その仮名遣い何の規範もない、いい加減なものであって誤写誤読を招くことになるという意味の批判であった。 ただし定家は、「昔の人仮名まともに書き分けていた、それに比べて今の人たちの仮名遣いでたらめだ」などといっているわけではない定家からすれば三代集等の写本作るうえで仮名遣いはじめとする表記ありように、特に関心を置かなかった「古人」や「先達」もまた「文字狼藉」を繰り返していたと見ているのであり、ましてそれ以上の「文字狼藉」を行なって平気でいる「当世の人」に至っては、話にならないといっているのである。しかし当時学問において「師説によらず新たに何かをなそうとすることは、相当な自信覚悟のいることだったと見られるが、たとえそれが「僻事」と非難されようとも、定家にとっては「文字狼藉」がないよう本文書写校訂することのほうが重要であると考えたのである。 では定家何をもって仮名遣い定めたのかといえば、『下官集』では仮名遣い用例を「旧き草子」、すなわち「古い時代書き写され仮名文学作品」に求めたとしているが、その「旧き草子」とは定家入手できたものに限られており、そこから導き出され仮名遣いは、音韻の変化する以前用例正確に記しているものではないことが確認されている。たとえば「ゆゑ」(故)は「ゆへ」と書くように定められている。しかしこれは定家生きた当時においては「ゆへ」と書くほうが優勢であり、定家が目にした「旧き草子」にも「ゆへ」と記す例が多かったことにより、読んで理解し書き写すのに「ゆへ」であっても不都合ではない、むしろ「ゆゑ」などとしたのでは却って人々理解妨げると判断したからであった。 また当時いずれも[wo]の音となっていた「を」と「お」の仮名については、アクセント高低によって高音を「を」に、低音を「お」に当てて使い分けていたことも、大野晋によって発見されている。これは、もし[wo]の音を含んだ言葉仮名で書くのに「を」と「お」のいずれを書けばいいのか迷ったとき、例え「置く」なら高音の「をく」、「奥」なら低音の「おく」というように、それを実際に発音してみればいずれ当てはまるのかがわかる。逆に「をく」、「おく」と書いておけば、それが「置く」、「奥」であるのがわかるというものであった。この高音低音いろは歌の「いろはにほへどちりぬるを」の「を」のアクセントと、「うゐのおくやま」の「お」のアクセントが、それぞれの基本となった考えられているが、『下官集』では「を」には「緒之音」、「お」には「尾之音」という但し書きがついており、実際にはこの「緒」と「尾」の二つ言葉を口にすれば判断できるようにしている。このアクセントによる「を」と「お」の使い分けは、平安時代後半11世紀末には成立していたと考えられる色葉字類抄』にもすでに見られる。ただし定家はさらにこの「を」と「お」のほかに変体仮名の「𛄚」(越/・)を用いアクセント関わりなく「を」と「お」のいずれにも使える仮名文字とした。例をあげると、 あきのよいたづらにのみ おきあかす つゆはわがみの うへにぞありける(『後撰和歌集』・秋中 よみ人しらず) がある。この和歌第三句「おきあかす」には「起き」と「置き」の掛詞含まれるが、定家筆の『後撰和歌集』ではここに「越」の仮名使い「越き」と書いている。『後撰和歌集』が編纂された当時は、「置き」と「起きはいずれも「おき」であった。しかし定家使い分けでは、「置き」の[wo]は上で述べたように高音なので「をき」と書くが、「起き」の[wo]では低音なので「おき」と書なければならない。だがそれでは、この言葉掛詞であることが示せない。そこで「を」と「お」のどちらでも読み取れる手段として、「越」の仮名アクセントとは関わりい文字として定め用いたのである定家はほかにもこれら三つ仮名使い分けによって、仮名の文をわかりやすく書写することに成功している。 定家は、のちの契沖のように古い文献調べて仮名遣い確かめようとしていたわけではない。ゆえにその仮名遣いには理論的な表記規則根拠はないともいえるが、理論的であろうなかろう定家してみれば上で述べた目的を果たすものであればそんなことはどうでもよかったのである定家にとって仮名遣い問題は古い文献中にあったのではなく仮名綴る現場で起こっていることであった定家仮名遣い定めることにより、写本本文当時の人々から見て読みやすいことを原則としていたのである

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