THE BLUE HEARTS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/16 23:09 UTC 版)
略歴
- 甲本、真島、河口、新宿の歩行者天国のイベントで初めてセッションを行う。
- 11月、甲本、真島、河口の三人は遊び仲間としてよく遊んでいた。
- 12月24日、当時ヒロトの家だった笹塚の廃屋のパーティーで、THE BREAKERSの解散を決定した真島が、同時期に解散したザ・コーツの甲本に「バンド一緒にやらないか」とブルーハーツ結成の話を持ちかける。
- 1月5日、真島が数人の仲間とギターを片手に甲本の住家を突然訪れてそのまま住みついてしまう。同日の夕方、元ベース担当の望月も静岡より上京し甲本の家に住み着くようになる。
- 1月25日、THE BREAKERS解散。
- 1月後半、甲本、真島、望月の3人で原宿クロコダイルで行われたジョニー・サンダースのライブを観た帰り、代々木公園で一人ドラムの練習をしていた英と初めて出会う。
- 2月、甲本と真島を中心に結成される。結成当時のメンバーは、Vo.甲本ヒロト G.真島昌利 B.望月正水 Dr.英竜介。
- 4月3日、新宿ロフトで初ライブ[3]。チケットはドリンク付きで1,000円。
- 6月、望月脱退、正式メンバー決定までの間、コーツ、グレイトリッチーズ、ディープ&バイツで活動していた山川のりをが一時的にベーシストとして参加(甲本は山川をこの年いっぱいはメンバーとしてやっていくといっていた)。
- 8月17日 渋谷屋根裏、それまでマネージメントを行っていた河口が正式加入。
- 12月24日、都立家政スーパーロフト(現存せず)にて初ワンマン・ライブ「世界一のクリスマス」256人動員。全レパートリー21曲を演奏。
- 3月8日、渋谷屋根裏で開催されたライブ『JUST A BEAT SHOW』出演。後にこの時のライブを収録したオムニバス・アルバムも発売。
- 3月20日、渋谷東映で開催された反核イベント『アトミック・カフェ・フェスティバル』に出演[4][5]。有頂天、ZELDA、ECHOESといったプロのバンドの中に混じりアマチュアバンドで唯一出演し、お客の目を全て奪う[4]。
- 3月21日、目黒鹿鳴館「Bright Lights Beat City」を最後に英脱退。
- 4月19日、都立家政スーパーロフトから梶原が正式加入。
- 5月19日、テレビ東京“スーパーマガジン・すばらしき人生”でテレビ初出演。
- 6月9日、目黒鹿鳴館にて2度目のワンマンライブ「人にやさしく」、489人動員。1985を除く全レパートリー24曲を演奏。
- 1月、「ハンマーツアー」スタート。
- 2月25日、自主制作シングル「人にやさしく/ハンマー」発表。
- 5月1日、シングル「リンダ リンダ/僕はここに立っているよ」でメジャーデビュー。
- 5月21日、1stアルバム「THE BLUE HEARTS」発売
- 5月21日、ニッポン放送・オールナイトニッポン第1部に出演。DJは爆風スランプのサンプラザ中野
- 7月4日、日比谷野外音楽堂にてライブ。チケットは即日ソールドアウト。3382人動員。
- 10月1日、初の全国ツアー「ドブネズミツアー」スタート(全40公演)。
- 杉浦逸生から白井幹夫を紹介される。
- 8月16日、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。
- 9月、レコード会社をメルダックからイーストウエスト・ジャパンに移籍。
- 8月13日、長野県千曲市にある科野の里歴史公園「あんずの里ロックフェスティバル」に出演。これがブルーハーツとしての最後のライブとなる。
- 12月25日、ダウンタウンのごっつええ感じに「THE BLUE HEARTS」として甲本と真島が出演。GEISHA GIRLSとこじつけ音作文、乳首相撲対決、寸止めキス対決をした。これが「THE BLUE HEARTS」としての最後のテレビ出演となった。
- 所属事務所から独立。甲本と真島が代表となって有限会社ハッピーソング設立。
- 6月1日、NHK-FMの音楽番組ミュージックスクエアで解散発表(出演部分の収録は5月17日)。
- 7月10日、ラストオリジナルアルバム『PAN』発売。
注釈
出典
- ^ a b c d e Eremenko, Alexey. The Blue Hearts|Biography & History - オールミュージック. 2020年4月19日閲覧。
- ^ 日本放送出版協会(2001年4月)ISBN 978-4-14-189046-1 発売日:2001年4月
- ^ CDJ PUSH 【特別対談】知られざる初期のブルーハーツ 加藤ひさし(ザ・コレクターズ)×片寄明人(GREAT3 / Chocolat&Akito)〜後編CDJournal.com 2010年3月4日
- ^ a b 「NEWS–BEATロック教養講座 第3回 THE BLUE HEARTは、棲み家とか一緒にバカでかくなってくぜ!」『月刊明星』1989年2月号、集英社、 182–183頁。
- ^ Talkin'Bout THE BLUE HEARTS ~アノ人が語る“私と..
- ^ セガサミーホールディングス・2009年3月期決算短信
- ^ “ファシズムへの誘惑”. 2019年3月8日閲覧。
- ^ “「ブルーハーツの友」第二弾”. 2019年3月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ ブルーハーツ甲本ヒロト初の武道館秘話を弟の甲本雅裕が語る - YouTube
- ^ “サンプラザ中野くん あのレジェンドの“恩人”だった「大反響で。そこからデビューしたんです」”. スポーツニッポン (2022-1の1-13). 2022年11月14日閲覧。
固有名詞の分類
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