鳥居氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 13:36 UTC 版)
歴史
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(『寛政重修諸家譜』)
藤原実方の長男朝元(桓武平氏流平重氏とも)の後裔と自称した[3]。紀伊国熊野に出、鳥居忠氏が承久中に三河国矢作庄の渡理に移住し渡理伝内と称し[4]、忠氏の子孫の鳥居忠吉が松平清康・広忠に仕えるようになったという[4]。
忠吉の子・元忠は徳川家康配下の部将として諸合戦に軍功をあげ、関ヶ原の戦いの伏見城の戦いで戦死した[1]。その息子の忠政は父の戦功により加増を繰り返され、元和8年(1622年)には出羽国山形藩主20万石となる[4]。寛永3年(1626年)にはさらに2万石の加増があって22万石となったが、寛永13年(1636年)に忠恒が無嗣で死去、また故あって改易に処された[4]。
しかし元忠の旧功により忠恒の弟にあたる忠春が信濃国高遠藩3万2000石を与えられた。元禄2年(1689年)にも再び改易に処されたが、やはり元忠の功で能登国下村藩1万石が与えられ、元禄8年(1695年)には近江国水口藩2万石に加増移封となり、正徳2年(1712年)に下野国壬生藩3万石に加増移封となり、以降廃藩置県まで壬生藩に定着した[5][1]。
元忠の三男・鳥居成次も父の旧領を与えられ、甲斐国谷村藩藩主となり、元和2年には徳川忠長の付家老に任じられて3万5000石を領したが[6]、忠長の改易に連座して改易となっている。
江戸時代後期に庶流の旗本家から鳥居耀蔵(大給松平氏出身、林述斎の子)が出て、目付や南町奉行を務めて甲斐守の官位を与えられ、水野忠邦の片腕として天保の改革の民衆弾圧を指揮して「妖怪(耀甲斐)」と恐れられた[7]。
最後の壬生藩主忠宝の代の幕末に家中は尊王攘夷をめぐって藩論を二分したが、戊辰戦争では官軍に参加した[8]。明治2年(1869年)6月24日に版籍奉還により壬生藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県まで藩知事を務めた[9]。
明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると鳥居家も大名家として華族に列した[10][11]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事[注 1]として忠宝の子忠文が子爵に列せられた[13]。
忠文は外務省官僚として副領事、公使館書記官、外務省書記官などを歴任した後、貴族院の子爵議員に当選して務めた[3]。
その孫の3代子爵忠博の代の昭和前期に鳥居子爵家の邸宅は東京市麹町区四番町にあった[14]。
現在、鳥居宗家は壬生に存在する。また、下野国であった栃木県内に散らばる多くの鳥居姓は、この鳥居氏の末裔たちである。愛知県岡崎市渡町には鳥居氏発祥地の碑がある[15]。
注釈
出典
- ^ a b c "鳥居氏". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月8日閲覧。
- ^ 小田部雄次 2006, p. 334.
- ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 244.
- ^ a b c d 新田完三 1984, p. 816.
- ^ 新田完三 1984, p. 817-818.
- ^ "鳥居成次". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年12月19日閲覧。
- ^ "鳥居耀蔵". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年12月19日閲覧。
- ^ "壬生藩". 藩名・旧国名がわかる事典. コトバンクより2023年8月25日閲覧。
- ^ 新田完三 1984, p. 819.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 336.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 243.
- ^ “鳥居氏一族の発祥地”. 岡崎いいとこ風景ブログ. 岡崎市まちづくりデザイン課 (2010年4月16日). 2021年7月19日閲覧。
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